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小笠原道大×アレックス・ラミレス「監督は“オガラミ”をエンジョイしていた」~最強コンビ対談~

2021/04/07
2008年にはON砲を超える15度のアベック弾で大逆転優勝を呼んだ恐怖の3、4番が再会した。猛威を振るう驚異の打棒で、第2次政権を支えた2人のスラッガーが、当時の戦いを語り合う。

――まずは2人の関係性から。小笠原さんが1つ年上ですがどう呼び合っていますか。

小笠原 ぼくは“ラミちゃん”と。

ラミレス 私は“ガッツさん”ですね。ジャイアンツにいたころから、ニックネームで呼び合える仲でした。

小笠原 ぼくがジャイアンツにFA移籍した1年後の'08年にラミちゃんも来ることになって。心強いメンバーが加わるな、と楽しみにしていました。

ラミレス ガッツさんこそ、すばらしいバッター。ファイターズ最終年の'06年、ジャイアンツ1年目の'07年と、セ・パ両リーグでMVPを獲得していましたから。学べることがたくさんあるに違いない。そんなワクワクした気持ちがありました。

小笠原 でも'08年の序盤戦は苦しかったね。個人的には、前年のオフに手術した左ひざを無意識にかばっていたせいで状態が上がってこず、それがチームの成績にも直接響いていたのかな、と……。

ラミレス 開幕戦で二岡(智宏)がケガをして。4番を打っていた李承燁(イ・スンヨプ)も本調子ではなかった。でも、野球をよく知っているベテランの多いチーム。時間はかかっても、必ず浮上していけると思っていました。

――いわゆる“外様”の身。なかなか期待に応えられない状況はつらかったのでは。

ラミレス 特にジャイアンツでは、活躍できないと試合で使われなくなって、二軍に落とされてしまうということはわかっていました。開幕からしばらくの間、私は5番を打っていましたが、最初はとにかくラインアップに残ることを意識していました。

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photograph by Takashi Shimizu

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