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「代打、ワシ」「英語訛りの関西弁の使い手も」タテジマの歴代四番110人、奇想天外エピソード列伝…金本以降、阪神の四番は小粒化しているのか?
出口の見えない低迷に苦しんでいた阪神の再生を請け負って'99年に監督に就任したものの、2年連続最下位に沈んだ野村克也は'00年のオフ、久万俊二郎オーナー(当時)にこう説いたという。
「エースと四番は育てられない」
名将曰く、エースや四番打者は突き抜けた才能を持つ者が自然にその地位に登り詰めるものだが、いくら才能があっても一人前になるには時間がかかる。エース候補はドラフト1位の選手を一軍で起用しながら成長を見極め、四番は実績のあるFA選手や外国人で補強すべき。それこそが猛虎復興の近道というのがノムさんの主張だった。
振り返ると強かったときの阪神にはチームの顔と呼ぶにふさわしい風格のある四番がいた。ファンの期待を背負って打席に立ち、一発逆転のホームランで球場を熱狂させる。プレッシャーに克ち、結果を出せる長距離砲が四番の理想像であり、阪神再生のために不可欠な存在だとノムさんは見抜いていた。単に4番目に打つこと以上の含みと重みが四番打者にはある。
'36年に発足した日本職業野球連盟の傘下7球団のひとつが、阪神の前身たる大阪タイガースだ。初代四番を務めたのは松木謙治郎。ロイド眼鏡がトレードマークで、長打力に優れた内野手として鳴らした。'50年からの2度目の監督在任中には、遠征中の選手たちが腹を満たした食堂車の支払いをポケットマネーで補填したという逸話が残る。もっともそのせいで経済的に行き詰まったとも吐露しているが、大将はつらい。
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