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【イチローの代理人】カッコよかったなあ…代理人アタナシオは「映画『ゴッドファーザー』から抜け出してきた人」《小宮山悟、川崎宗則が証言する素顔と交渉術》
2001年、イチローが海を渡った。日本の野手がメジャーリーグでプレーするのは初めてのことで、どれほど活躍するのかは未知数だった。殿堂入りが決まった後の会見で、イチローは自身が殿堂入りすることについて「地球上の誰も想像できなかった」と語ったが、それが当時の現実だった。
日本の選手がアメリカに渡るにあたって必要となるのがエージェント、代理人である。ある意味、海外でプレーするための「ゲートウェイ」といえる。メジャーリーグでは、自分自身で球団と交渉する選手はごくごくわずかで、ほとんどの選手が代理人を通して球団を決める。イチローが代理人に選んだのは、トニー・アタナシオだった。
アタナシオは1939年、コネチカット州で生まれた。地元の大学では野球とサッカーをプレー、'61年から'65年まではクリーブランド・インディアンスのマイナーチームに在籍した。引退後、保険の外交員などを務めていたが、30歳を過ぎてある野球人を紹介される。当時、ドジャースで売り出し中の若手だったボビー・バレンタインと意気投合し、代理人として採用されたのだ。'72年のことである。
日本球界の歴史に大きな影響を及ぼしたアタナシオとは、どんな人物だったのか。

アタナシオと日本のつながりが生まれたのは、バレンタインが'95年に千葉ロッテの監督を務めた時からだ。2000年には「大魔神」佐々木主浩の代理人としてシアトル・マリナーズへの移籍を実現させ、その翌年には日本人野手として初めてメジャーリーガーとなったイチローの代理人を務めた。'02年にバレンタインを慕ってニューヨーク・メッツに移籍した、現・早稲田大学野球部監督の小宮山悟はこう語る。
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