大の里が大関昇進を決め、話題をさらった先の9月秋場所。翔猿は5勝10敗と大きく負け越してしまう。
しかし西前頭筆頭の番付で上位陣をかき回し、その存在感には目を見張った。
「『翔猿は何かやってくれそうだ』と思われているみたいですが、自分はただがむしゃらにやっているだけなんですよ。勝ちに行ってるだけです」
真っ直ぐな視線をこちらに向ける。
琴櫻戦の悔しさ「この気持ちはたぶん一生消化できないかも」。
3日目、結びの一番。相手は大関琴櫻だった。軍配は琴櫻に上がるが、この一番は物議を醸すことになる。
土俵際、際どい相撲となり、琴櫻が腹から落ちるのが早く、翔猿の足が残っていたように見えた。しかし物言いもつかず、「これは誤審ではないか」と誰もが翔猿に同情したものだった。
翌4日目には引き落として大関豊昇龍を下したものの、琴櫻戦の悔しさは、1カ月以上経っても、まだ癒えていない。
「同情されても……。なんて言ったらいいんでしょう。悔しいというより、どうにもうまく言葉にできないんですよ。この気持ちは、たぶん一生消化できないかもしれませんね。もう、圧倒的な相撲を取って強くなるしかない。そう思うしかないんですけど」
行司や審判批判を口にはしないものの、一戦一戦に命を懸ける“勝負師”だ。その表情と言葉に、無念さをにじませていた。
13日目の宇良戦では互いに低く構えて隙を狙い、押し合い、いなし合う見ごたえのある攻防を繰り広げた。ふたりの熱戦が、満員御礼の国技館の土俵を沸かせてもいた。身長173cm体重135kgの翔猿に、身長175cm体重140kgの宇良。体格は同等で、現在の相撲界では小兵の部類に入る。
宇良とは入門時期が1場所違うものの、相撲教習所で一緒に学んだ仲でもあるという。
「実は、当時ふたりで『一緒に幕内の土俵を盛り上げたいね』と話していたことがあったんです。僕の出世が遅くてなかなか叶わなかったんですけどね。その意味では宇良戦は楽しみでもある―と言えるのかな」
この日の宇良戦でははたき込みで惜敗するが、14日目の湘南乃海戦では、珍手の“素首落とし”を決めている。
自分も上に行きたい。大関になります。
小学生時代から始めた水泳と野球で培った運動神経。今や土俵狭しと動き回る業師でもあり、イキイキと相撲を楽しんでいるようにも見えるが。
「いや、楽しくはないですよ。そりゃあ勝てば楽しいですけどね……」
キリリと整えた眉毛に、スキンケアを怠らない美肌の小顔。イケメン力士として名を馳せるが、無骨な一面を持ち合わせてもいる。
殊勲の星を挙げてインタビュールームに呼ばれることも増えたが、アナウンサー泣かせでもあるのが翔猿だ。
「そうっすね」「はい」「そうっすね」淡々と受け答え、多くは語らない。早々に自らインタビューを切り上げてしまうことさえある。
この素っ気なさが、一部の相撲ファンのあいだでウケている。
「だって、その日一日のことじゃないですか。相撲はまた次の日もあるわけだし、そうべらべらと喋れるものでもありませんよ。これが最終日ならまだしも、ね」
秋巡業も半ばを迎えた10月中旬。
過密なスケジュールで疲労の色も濃い力士たちが多いなか、絶えず体を動かし、ひたすら汗をかく翔猿の姿があった。
日々移動する巡業中は筋力トレーニングができないゆえ、基礎運動に徹しているという。
「あ! トビザルだぁ~!」
子どもたちが寄ってくると、動きを止めて握手をし、記念撮影に応じ、ファンサービスを厭わない。テレビのバラエティ番組に出演する機会も増え、認知度と人気が急上昇中でもあるのだ。
「確かに声を掛けてもらえることが多くなりましたよね。もともと子どもは好きなんです。高校生の時に、相撲で大学に進むか、専門学校に行って保育士になろうか迷ったくらいですから」
子どもたちの背丈に合わせてかがみこみ、頭を撫でてやさしげな視線を送る。満面の笑みで頬を緩ませていた。
そんな翔猿が、顔を引き締めた。
「いつまでも上位陣をかき回す存在ではなく、自分も上に行きたいですよ」
最高位は東小結で、3度小結を経験したが勝ち越しは叶っていない。
まずは三役に復帰したいところだが、今後の目標を訊ねると、迷うことなく即答した。
「大関になります。目指してます」
32歳の翔猿は、自らに言い聞かせ、己の心に刻み込むように、その一言に力を込めた。
翔猿Tobizaru
1992年4月24日生、東京都出身。日本大卒業後、追手風部屋に入門し、'15年1月場所で初土俵。'20年9月場所で新入幕、'22年11月場所で新三役。敢闘賞、殊勲賞を各1度受賞。173cm、135kg。