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【石川祐希の原点】「セッターの線もあるのかな」同級生らが語る星城高“伝説の3年間”…「このままでは体が壊れてしまう」恩師が練った策は?

2024/10/12
星城高校時代の石川祐希
身長180cmの“グッドプレーヤー”だった少年は今や日本の大黒柱に。成長の裏には、将来を見据えた高校時代の練習や起用法があった。「高校6冠」を達成した仲間と恩師が、進化する男の原点を明かす。(原題:[日本のエース誕生秘話]礎を築いた伝説の星城時代)

 石川祐希の名がファンに広く浸透したのは、彼が「自分の土台であり、原点」という愛知・星城高校時代に、インターハイ、国体、春高バレーで優勝し、史上初となる2年連続3冠、計6度の全国制覇を成し遂げたときだ。

 逸材揃いで「奇跡の世代」と呼ばれた星城の絶対的エースは、3年時にはキャプテンとしてもチームを牽引した。

中学時代は「グッドプレーヤー」にすぎなかった。

 のちに偉業を成し遂げる石川だが、星城を指揮する竹内裕幸総監督の第一印象は、意外にもそれほど強烈なものではなかった。

「初めて石川を見たのは彼が中学2年生のときでしたね。1つ年上の3年生の選手をスカウトするため矢作中学校に行ったとき、彼は下級生のチームでプレーしていたんです。上手いなという印象はあったけれど、当時はまだ飛び抜けた存在だとは言い難かった。背丈も170cm程度。身長が伸びていなかったらスカウトしていなかったでしょうね」

 小学校時代から高校までの9年間、同じチームでプレーしたセッターの中根聡太は石川の中学時代のイメージをこう語る。

「全国のなかでは上のレベルの方だったけれど、あいつよりも点を取る選手はたくさんいたし、レシーブがうまい選手はほかにもいました。どのプレーのクオリティも平均的にはすごく高いけれど、まだ『グッドプレーヤー』に過ぎなかった。これでもっと身長が伸びたらなぁ~と思ったような記憶はありますね」

 中学3年になると石川の身長は180cm前後まで伸びていた。愛知県選抜の主将を務め、全国都道府県対抗中学大会では準優勝。そのチームのレギュラーの多くが星城高に入学した。

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photograph by KYODO

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