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<スペシャル対談> 武豊×クリストフ・ルメール「あの衝撃を忘れない」

2019/10/09
秋競馬の季節を前に世を去った稀代の名馬を偲んで、全14戦の手綱を取った生ける伝説と国内で唯一土をつけた名手が語り合った。思い起こすのはやはり「あの秋」のこと――。

 今年7月30日。ディープインパクトの訃報を、武豊は新千歳空港の搭乗待合室で伝え聞いたという。

「前の日にたまたま社台スタリオンの関係者の方にお会いして、せっかく馬産地に来ているんだから後でディープに会いに行こうかなという話をしたんです。そうしたら“いや実は……”って。昨日手術をして、そのあとがあまり良くないんですという話を聞いていました。そのときは緊急な容態とまでは思わなくて、そういう事情なら回復してから改めて行こうかなと。ちょっと嫌な感覚は残りましたが、そもそも元気じゃないディープが想像できません。そしたら翌日、出発直前のタイミングで電話がかかってきて……、少しの間言葉が出ませんでした。ディープ自身は病理解剖に出て行って会うことはできないとも伺いましたが、だからといってそのまま帰ってしまう選択は考えられませんでした」

 武は搭乗予定の飛行機、その後の予定も全部キャンセルして、ディープインパクトが種牡馬としてずっと過ごしてきた社台スタリオンステーションを訪ね、馬房の前で無言で手を合わせた。まさかこんなに早く別れの時が来るとは思わず、様々な思いが駆け巡ったという。「僕にとってのかけがえのないヒーロー。感謝の気持ちを伝えました」は、14戦全ての手綱を取ってきた武の言葉だからこその重みだ。そんな名馬の思い出から、対談は始まった。

ルメールが思い出す2006年の凱旋門賞。

ルメール(以下L) 僕は札幌でゴルフをしていて、終わって帰るときにバーバラ(夫人)に電話をして、そこで初めて知りました。彼女が“日本の人たちはみんな泣いているのね。私も悲しい”と言うので、え、何があったの? って聞き返しました。フランスのテレビも、ニュースでディープインパクトが死んだことを伝えていたというんです。朝からゴルフに夢中でなにも知らなかった僕は、フランスに帰国中の奥さんから聞いて、ただビックリするしかありませんでした。本当に残念です。それにしても、日本の競走馬が亡くなったことがフランスでニュースになるなんて、いままで聞いたことがありません。

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photograph by Yasuyuki Kurose

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