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【当事者の証言】マラソン日本代表「補欠」の真実「誰かが引き受けないといけないんです」《高岡寿成/谷川真理/川嶋伸次》

2024/07/31
'03年福岡国際の40km地点で國近(左)と諏訪(右)に振り切られた高岡。33歳でアテネ五輪を逃した
「オリンピックの華」に挑む男女代表6人の陰には、走れないレースのために長期間準備する選手がいる。この3人のランナーは過酷な任務をいかに受け入れ、そこから何を糧にして、再び走り出したのか――。(原題:[知られざる葛藤の先に]マラソン日本代表補欠「勝者と敗者の狭間に生きて」)

 2024年の春、日本陸上競技連盟の強化委員会でシニアディレクターを務める高岡寿成はパリ五輪マラソン代表候補の川内優輝、細田あいの陣営に、こう打診した。

「私の経験上の話にもなるのですが、ある意味では選手よりも大変な立場でもあると思います。実際に走れるかわからないのに準備すること。オリンピックに出られる可能性が限りなく低いこと。そういったなかで準備していただけますか」

 ふたりに持ちかけたのはマラソン五輪代表の補欠だった。男女3人ずつ選ばれた正選手にアクシデントが生じた場合、補欠が代役として走る。だが、五輪の本番前に交代したことは一度もない。

高岡寿成 Toshinari Takaoka 1970年9月24日生、京都府出身。洛南高、龍谷大を経てカネボウ。'00年のシドニー五輪1万m7位入賞。3000、5000、1万mの日本記録樹立。'09年引退。現在は花王監督。186cm Keiji Ishikawa
高岡寿成 Toshinari Takaoka 1970年9月24日生、京都府出身。洛南高、龍谷大を経てカネボウ。'00年のシドニー五輪1万m7位入賞。3000、5000、1万mの日本記録樹立。'09年引退。現在は花王監督。186cm Keiji Ishikawa

高岡の人生が変わる敗北の後の補欠打診「なぜオレが……」

 '04年3月15日。カネボウのエースランナーだった高岡にとって葛藤の日々の始まりであり、練習日誌にも戸惑いがにじむ。

《ある程度覚悟していた部分もあったので、それほど落胆はしなかった。むしろ補欠ということで驚いた。こればっかりは残念やけど仕方のないこと。また、これからどうするか考えないといけない》

 この日は「8年計画」で目指してきたアテネ五輪マラソン代表の発表日だった。自分の名前はなかった。ただ、補欠を打診された。結論を出すまで数日間の猶予を与えられたが、辞退することも脳裏をよぎった。

 五輪代表が勝者なら、落選したランナーは敗者である。そこには厳然たる隔たりがある。だが、補欠はちがう。敗者になることもできず、勝者との狭間を彷徨う。マラソン選手は多いときは月間1000km以上も走る。本番に向けた約3カ月間の道のりは険しくて苦しいが、目標があるから耐えられる。

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photograph by JIJI PRESS

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