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「井上尚弥よりすごい選手が出る」大橋ジムの強さの秘密とは…果敢なマッチメーク、キッズ普及計画《大橋会長、川嶋勝重、八重樫東らが証言》

2024/05/30
開設当初から大勢の練習生で賑わったジムは、3人の現役世界王者を抱える名門と相成った。元世界チャンプ2人と会長本人の言葉で、今年30周年を迎えた王者製造工場の秘密を解き明かす。(原題:[大橋ジム強さの秘密]引き継ぎ、引き継がれる世界王者輩出術。)

 少し色あせた興行プログラムには「横浜拳闘劇場I」とある。1996年3月21日、横浜文化体育館。大橋ジム会長、大橋秀行が懐かしそうに振り返った。

「これ、大橋ジムが主催者に名を連ねた初めての興行だったんですよ。うちから5人出場して全敗(笑)。これが始まりなんですよね。まさか28年後に東京ドームで興行をやるなんて思わなかったなあ」

雰囲気はあくまでも「明るく、楽しく」。

 元世界王者の大橋は'94年、横浜駅の近くにボクシングジムを開いた。のちに5人の世界王者を輩出する大橋ジムも、最初から名門だったわけではない。

「世界チャンピオンを作りたいって言うけど、それが甘い話じゃないことはよく分かってましたから。段階を踏む。まずはジム経営を軌道に乗せる。イコール、練習生を集める。そう考えて、青木橋にあった当時のジムは40坪くらいしかなかったけど、200人以上の練習生を集めました」

 ジムの雰囲気はあくまで「明るく、楽しく」だ。あるとき、携帯電話で話をしながらサンドバッグを叩いている練習生がいた。居合わせた後輩が「先輩、あれでいいんですか?」と耳打ちしてきたが、大橋は「これでいいんだよ」と気にしなかった。

川嶋勝重 Katsushige Kawashima ©Yuki Suenaga
川嶋勝重 Katsushige Kawashima ©Yuki Suenaga

「強い選手を育てようとすると、どうしても厳しくなる。それだとみんな辞めちゃいますから」

 '95年夏に入門してきたのが川嶋勝重だ。同年1月、川島郭志が世界タイトルを防衛した試合に心を動かされ、プロボクサーになろうと決意した。20歳だった。川嶋が当時の心境を語る。

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photograph by Takuya Sugiyama

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