証言1
「ええ。あの方がヒシミラクルの単勝をお買いになったのは、私の窓口です。額が大きかったので、よく覚えています。高額のときはもう一人が手伝って、機械と手でお金を数えるんですが、額が額だけに大変でした。でも、お客様はこっちを見るでもなく、おとなしく待っていましたよ。それより気になったのは手です。馬券をお渡しするとき、手が触れたんですが、ものすごく冷たくて。それに血の気がうせたみたいに真っ白な手でした。汗ばむような陽気の日だったのに、不思議ですよね」
証言2
「大口の購入をされた方は、馬券を落としたり、忘れたりすると困るので、建物の外まで警備の者がそれとなく注意するようにしています。ヒシミラクルの単勝を買った方は、私がウインズの外までお見送りしました。馬券を何度も確認したり、ポケットに触ったりといったことは特別なかったですね。ただ、外に出たとき、気づいたことがありました。その方には影がなかったんです。天気のよい日だったのになぜなのか、いまだにわかりません。でも、影のない人間なんているはずないから、太陽の当たり方のかげんなんでしょうね」
安田記念の払戻金1200万円あまりをそっくり宝塚記念のヒシミラクルにつぎ込んで2億円をせしめた男に関しては、さまざまなうわさが飛び交っている。ここで紹介したふたつの証言も、そうしたうわさ、都市伝説の類と聞き流すべきなのかもしれない。しかし、「血の気のない真っ白な手をした男」「影のない男」というのは、想像力をかき立てられるではないか。2億円をつかんだまま、杳として姿の知れない男は、神か悪魔か、いずれにしてもただ者ではない。だが、よく考えてみれば、2億円をつかんだからといって、その男が幸福を手に入れたかどうかはわからない。無茶な金遣いで破滅したり、金銭をめぐるトラブルに巻き込まれていないとも限らない。当たり馬券の魔力に魅入られて、今ごろは馬券で身を滅ぼしているかもしれない。とすると、ほんとうの神、もしくは悪魔は、2億円男に「成功の甘き香り」をかがせた馬のほうかもしれない。あの、どこといって際立ったところのない灰色の4歳馬こそが、現代のメフィストフェレスかもしれないのだ。
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