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「大谷翔平にどうやったら追いつけるか」幼稚舎からの“生粋の慶應ボーイ”保科圭伸25歳は、独立リーグで夢を追う《覚悟のラストイヤー》

2024/04/06
高校、大学でレギュラー経験のない25歳。それでも、生粋の慶應ボーイは、少年のようにグラウンドを駆け、白球を追いながら、NPBの舞台に立つその日を思い描いている。そして今年、独立リーグの年齢制限最後のシーズンを迎える。夢と現実の狭間で彼は何を思い、何を信じて戦っているのか――。

 その姿は、まるで昨日、野球の楽しさを知ったばかりの少年のようだった。

 霧雨が降る早春のグラウンド。スタンドには誰もいない。肌寒さを覚える中、福島レッドホープスに所属する保科圭伸(よしのぶ)は弾けるような笑顔を見せながらフリーバッティングの打撃投手を務めていた。

 快音が響くと体を仰け反らせながらバッターを褒め称え、少しでもボールが外れると顔をしかめて謝罪する。そして役目を終えると、満足げにこう締めくくった。

「みんな、ナイスバッティン!」

 こんなにも楽しげに打撃投手を務める選手がいるものなのか。それが第一印象だった。保科は話すときも笑顔を絶やさない。

「今日はそこを見て欲しくて。心の底から嬉しかったんです。自分の球を打ち返してもらえるのって本当に幸せだな、って」

 保科は右投げ左打ちの野手だ。売りは、本人曰く「長打力」。なのに「そこを見て欲しくて」と言うのにはわけがあった。

 保科は慶應義塾幼稚舎から慶應義塾大学に進んだ生粋の慶應ボーイである。傍らには、いつも野球があった。しかし高校・大学時代は補欠に甘んじている。そんな男が大学卒業後、丸3年が経過した今も本気でNPB入りを目指して独立リーグで野球を続けている。今も夢を追い続ける理由も、その「わけ」を抜きに語ることはできない。

野球好きの父がつけた名前、左打ちへのすすめ。

 保科が生まれたのは1999年2月28日だ。その前年、六大学の本塁打記録23本を打ち立てた慶大の高橋由伸が巨人に入団した。慶應OBで、野球好きだった保科の父は母校のスーパースターにあやかり初めて授かった男の子に「圭伸」と名付けた。「圭」は「たま」とも読むため、大切なものという意味を連想させる。将来打者になることを想定し、「たま」が「伸」びるという願いも込めた。

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photograph by Mitsuru Nishimura

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