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「自分の実力以上に人に恵まれていた」山田哲人、3度のトリプルスリーは「細かく区切った」目標設定で<杉村繁・三木肇コーチとの二人三脚>

2024/03/09
「スター」ではなく、「スーパースター」になる。そう宣言した翌年、トリプルスリーを達成した。2人の名伯楽とともに、打と走に磨きをかけてきたスラッガーが明かす、記録との向き合い方とは――。

「スーパースターを目指して頑張ります!」

 2014年11月23日、秋晴れの神宮球場。ファン感謝デーでマイクを握った山田哲人は、こんな言葉で未来への誓いを立てた。日本人右打者の最多安打記録である193安打を放ちブレークしたプロ4年目のオフシーズン。22歳の予想外の宣言に、2万9836人のファンがどよめく。

 クラブハウスに戻り、番記者から「スターになりたいというのは……」と水を向けられると、山田はかぶりを振った。

「スターじゃない。スーパースターだよ!」

 眼差しは真剣そのものだった。

 それからわずか1年で若武者は「3割、30本塁打、30盗塁」を達成する。翌'16年に2年連続のトリプルスリー。'18年には3度目の偉業を達成し、日本プロ野球史上、唯一無二の存在になった。

歴史に名を刻みたい、という気持ちはどこかにあるかもしれない。

 今年2月。32歳のシーズンを迎える山田に、当時のことを聞いた。

「スーパースター? 全然覚えてない。調子に乗ってたなぁ。出まかせだと思うよ」

 苦笑しながら、「でも、」と続けた。

「誰も成し遂げてない事をやりたいという気持ちはどこかにあるかもしれない。歴史に名を刻みたい、って。もしかしたらね」

 山田がトリプルスリーを現実的な目標に据えたのは、まさにこの'14年オフのことだ。履正社高校を卒業する際、岡田龍生監督(現・東洋大姫路高監督)から「トリプルスリーを取れるような選手になれ」と送り出されたことを思い出し、契約更改の席上で目標に掲げた。同年の成績は打率.324、29本塁打、15盗塁。成長を続けていけば必ず手が届く、そう思えたからこそ定めた照準だった。

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photograph by Haruka Sato
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