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「何かを見抜いていたのかも」恩師、チームメイトが語る羽生結弦“ジュニア時代”の素顔と才能「神が彼を与えてくれて…」<アーカイブ記事/2018年>

2009.12.04  Junior GP Final
今や世界を代表するスケーターとなった羽生だが、幼少時は何を夢見て、どんな努力をしていたのか。その才能の萌芽を間近で見ていたコーチと選手が、心に強く刻まれているユヅル少年の姿を振り返る。(初出:Number PLUS FIGURE SKATING TRACE OF STARS 2017-2018[ジュニア時代の思い出を語る]  ユヅルは双葉より芳し。)

 羽生結弦は競技人生の時々に出会った人たちに、今なお忘れられない記憶を刻んできた。

「この子には目標を、夢を与えてあげたい。そう思いました。ですからご両親を交えて、オリンピックに出よう、そのためにやっていこうねと話しました」

 そう語るのは、フィギュアスケートのコーチとして半世紀以上のキャリアを持ち、数々の名選手を育ててきた都築章一郎だ。2002年に仙台のリンクへ移り、そこで紹介されたのが小学2年生の羽生だった。練習を見て、豊かな将来性を秘めていることに気づいた。

「オリンピックに出た選手を含め、たくさんスケーターを観てきました。その選手たちと比べてみても、フィギュアスケートに必要な感受性を持っていることに気づきました。体幹がしっかりしているのも印象的でした」

 性格を見ても、スケーターとして無限の可能性を感じたと言う。

「反発するというか、納得がいかないときは、それが言葉や態度に出ていたりしました(笑)。ただ素直に聞く、という子じゃなかった。言葉や行動に反動、反発があるのは、それだけ自分をしっかり持っているからこそだと思いました。自分なりに考えているから、ただ聞いてばかりではなかったんです」

 そんな羽生に、繰り返し言って聞かせた。

「言ってもまだ分からない年頃だったかもしれませんが、4回転全種類を跳んでほしい、4回転アクセルにも挑んでほしい、それも夢なんだよと言いました」

 期待するスケーター像について語りかけるときは、素直に耳を傾けたと言う。

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photograph by Sunao Noto

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