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女流棋士・山根ことみ、愛にまつわる二、三の事柄「他のことはもういい、私は見つけた」…『大山康晴全集』、夫・本田奎、そしてビートルズ。
「愛するもの、ですか?
えー、まあ、いいか。愛……。
将棋? 確かに。愛してます」
山根ことみには愛するものがある。
インタヴュー前から本稿の冒頭に書く言葉は決めていた。愛の対象を描くことは、彼女という女流棋士を語る何かになるはずだから。
今から25年前、瀬戸内を望む美しい城下町である松山で生まれた。
引っ込み思案な少女だった。祖父が所有する裏山で過ごす一人きりの時間が何より好きだった。
「小学4年の夏でした。
放課後、昇降口の下駄箱の前で、幼馴染の藤岡隼太君(後の学生名人)に言われたんです。「こっちゃん、将棋やらんか」って。
駒の動かし方は知ってたけど、聞いたら、今度の大会の団体戦に出てよって。まあ、ただの人数集めだったんです。
当日、私は空手の大会で参加できなくて。でも早く終わったから応援には行こうかなって。会場の松山銀天街まで急ぐと、将棋大会も終わってた。でも、アーケードの下で棋士の方が指導対局をしていて」
取り囲む子供たちの合間から眺める。
将棋盤の向こう側にいる武市三郎と眼が合った。同じ四国の徳島市出身。今も子供への指導に定評がある棋士は柔らかく笑い、優しく語り掛けた。「将棋、やろうよ」
「気付いたら盤の前に座ってたんです。ただ駒を動かし続けていたら「負けました!」って大きな声が聞こえて。武市先生は「将棋、楽しいでしょ」って。
今でも強く覚えているんです。武市先生の優しい声も、大きく頷いた自分も」
週7で将棋センターへ。「私は見つけたんだ」と思えた。
何事も言われてからでないと動かない少女は明くる日、市内の道場「松山将棋センター」を訪れていた。初めて自分から母に「行きたい」と告げた場所だった。
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