いよいよ本格的に藤井聡太の時代が到来した。八冠全制覇を果たしながら、いまだ21歳。末恐ろしいというしかない。
過去にも将棋の歴史の中で、時代を制したといえる棋士がいた。彼らはどのように王国を築き、そして舞台から去っていったのか。共通点と相違点を探しながら、新たな王者の今後を展望していきたい。
四百余年の将棋界の歴史における最大の転換点は、1935年、終生名人制から実力名人制への移行だろう。そして初代実力制名人には、常勝将軍とうたわれた木村義雄十四世名人が輝いた。
木村は最後の終生名人となった関根金次郎十三世名人門下。早くから頭角を現し、1920年に四段昇段を果たした。
当時は規定が異なるうえ日時など厳密でないこともあるが、木村の四段は15歳5カ月あたりが有力とされている。これは藤井の14歳2カ月には届かずとも、羽生善治と渡辺明の間だから十分に早熟といえる。
時代を築く棋士は総じて早熟の天才であり、そのうえで持続晩成の素養がなければ長期政権を築くことはできない。
数々の最年少記録を塗り替え続けてきた藤井は、早熟の面では過去の誰よりも優れている。常々自己の成長と将棋への探求心を語る彼の成長曲線は、よほどのことがない限り下降することはないはずだ。
木村は1926年には21歳で八段まで昇った。終生名人制では九段がすなわち名人だったため、八段が事実上の最高到達点とされていた時代である。
木村の八段は例を見ない若さだったが、前年にも八段昇段規定を満たしながら辞退した経緯があり、地位が先走ってのスピード出世ではない。実際に八段になった頃にはすでに確固たる実力者となっており、先輩の八段を圧倒する充実ぶりを示した。
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