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藤井聡太に挑戦する20歳の新鋭・伊藤匠「藤井さんと七番勝負で何局も指せるのは嬉しい」<竜王戦は10月6日から>

2023/09/17

 藤井聡太が八冠全制覇に向かって驀進する現在、将棋界は過去にない注目を集めている。嬉しいことだが、危惧もある。仮に藤井が八冠を達成したら、その後の将棋人気はどうなってしまうのだろう。大きな目標に向かって全力で奮闘する姿に人間は感情移入をするものだ。実現しても藤井は肩書に関係なく常に全力で将棋を指し続けるが、今ほどの話題になるのだろうか。

 そんな心配をする人間にとって、8月14日に行われた竜王戦挑戦者決定戦第2局は興味深い結果となった。伊藤匠七段(20)が永瀬拓矢王座(31)を破り、藤井聡太竜王への挑戦権を獲得したのだ。伊藤にとっては初めてのタイトル戦。開幕時点で21歳の藤井と20歳の伊藤の年齢を足すと41歳で、タイトル戦の組み合わせとしては史上最も若い。スーパーフレッシュ対決だ。

ずっと藤井の背中を追いかけてきた。

 2002年生まれの伊藤は藤井と同学年で、小学生時代から藤井と対戦してきた。ある大会では伊藤に負かされた藤井が号泣をしたこともある。「子どもの頃から戦ってきた藤井竜王とタイトル戦で激突するのはどういう気持ちですか?」と伊藤に尋ねると、「戦ってきたというよりは、追いかけてきたという意識が強いです」とやんわり訂正された。

 伊藤のプロ入りは'20年10月で、藤井が4年早い。伊藤が18歳直前で四段になった時、すでに藤井は棋聖と王位の二冠だった。「藤井さんを意識し始めたのは奨励会三段くらい。タイトル戦で戦うことをずっと目指してきたので嬉しいです」と声のトーンが上がった。

 伊藤は今期の竜王ランキング戦5組で優勝。決勝トーナメントは破竹の勢いで7連勝し、挑戦権を獲得した。5組の優勝者が七番勝負に出場するのは竜王戦史上初である。

 なぜ、これだけ勝てたのか。

 伊藤は「難しいですねえ」と苦笑して、しばらく黙った。寡黙なタイプで、自分から話を始めることはあまりない。

「特に何かを変えたことはないんです。決勝トーナメントは次々に対局がつくので、短期間に勝ち星が重なって勢いがついたことが大きい。準決勝と挑戦者決定戦第2局はかなり苦しい局面もありましたが、勢いで拾うことができました。実力以上のものが出たと思います」

体力をつけるためにランニング、そして毎日将棋。

 決勝トーナメントは短期決戦で、6月末から8月中旬までの約1カ月半で7局も戦った。伊藤は「体調管理に気をつけていた」と振り返る。酷暑で体調を崩したら将棋どころではない。伊藤は1年半ほど前から毎日、ランニングを行っており、今夏も雨の日と対局日以外は走り続けた。

「おかげで体調を崩すことはなくなりました。ただランニングは楽しいものではありません。正直に言えば、ただただ苦痛です(笑)」と語る。体調を維持するため、それはつまり将棋に勝つためである。伊藤は「将棋以外にやりたいことはないので、オフの日はありません。毎日、ずっと将棋をやっています」と語っており、人生で一番喜びを感じる瞬間を尋ねると、「将棋に勝った時です。やっぱり自分は将棋に懸けているので」と強い意志を感じさせた。

 将棋漬けで努力を積み重ねてきた日々が、元々持っていた巨大なポテンシャルを開花させつつあるのだ。

 七番勝負ではどこに勝機を見出すのだろうか。

「どういう展開に勝機があるのかは想像できていません。ただ竜王戦は2日制で持ち時間8時間とかなり長いので、早い段階で差がつかないように気をつけて、終盤まで均衡のとれた将棋にしたい」と意気込む。

 タイトル戦で17期無敗の藤井は言うまでもなく超強敵だ。それでも、自身の姿を以前の何倍にも大きくした伊藤は「七番勝負が楽しみです」とはっきり語った。そして「藤井さんと対局できることは本当に楽しみです。昨年度は2局指せましたが、今年度は対局できない恐れもあった。七番勝負で何局も指せるのは嬉しい」と繰り返した。

 最後に訊きたいことがあった。伊藤は奨励会時代、藤井の将棋が中継されていて勝利に近づくと、普通の感情でいられなくなることがあったという。今はどうなのか。

「それは自分が奨励会時代の話です。今は、素晴らしい将棋を指してほしいと心から思っています」ときっぱりした口調で語った。見上げていた存在は今は視線の先におり、いよいよ大舞台で相まみえる。二人で素晴らしい将棋を創り上げるのだ――。

 第36期竜王戦第1局は、10月6日に開幕する。藤井の八冠が懸かる王座戦が決着している可能性もあるが、大きな伸びしろと余白を持つ伊藤匠の将棋を観ないわけにはいかない。

伊藤匠Takumi Ito

2002年10月10日、東京都生まれ。宮田利男八段門下。'20年に四段に昇段し、当時の最年少棋士に。'23年8月に竜王戦挑戦権を獲得し、七段に昇段。順位戦ではC級1組に在籍している。

photograph by THE YOMIURI SHIMBUN

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