名門野球部では甲子園のベンチ入りを逃したが、その経験が日本代表まで駆け上がる原動力になった。高校の恩師と盟友が、覚醒の瞬間を証言する。
「最短でプロになりたいんで、独立リーグに行きたいです」
2017年秋。聖光学院3年の湯浅京己は、監督の斎藤智也にそう告げた。
第一志望の大学進学を断念した湯浅から大胆な決意を示され、斎藤の目が丸くなる。怪我によって高校3年間の大半を裏方として過ごし、この年に出場した甲子園のベンチメンバーからも外れていた湯浅が、最短1年でNPBの球団に入団できる権利を有するとはいえ、独立リーグを目指すとは思わなかった。
一方で、「もしかしたら」と思う自分もいたのだと、斎藤は振り返る。
「湯浅はそっちのほうがいいかもしんねぇって思ったの。『こいつの力なら、怪我さえしなければ1年は無理でも2、3年でプロに行けっかもしんねぇな』って」
湯浅は、斎藤の予想を上回った。
BCリーグの富山から1年で阪神にドラフト指名され、4年目の昨年に最優秀中継ぎ投手としてブレークした。そして今年、WBCの日本代表としてマウンドに立ち、世界一のメンバーとなったのである。
斎藤が言う。
「高校での遠回りは、何年分にも相当する苦労だったと思う。その分だけ野球の神様が、卒業してからのあいつに成功のレールを一直線で敷いてくれたんだろうね」
湯浅にとって、意味のある遠回り。
それはマネージャーを経験したことだと、斎藤が断言する。湯浅は入学直後に腰を痛め、2年秋まで裏方を務めていたのだ。
「あの経験によって、湯浅は人の苦しみとか、縁の下の力持ちの大切さとかをすごく学んだと思うんだよ」
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photograph by Genki Taguchi