2015年早春。大谷翔平の父・徹さんに「いつか投打どちらかに絞る時が来るでしょうか?」と尋ねたことがある。
当時日本ハムの大谷は前年にNPB史上初の2桁本塁打、2桁勝利を達成。二刀流への懐疑的な目は徐々に消えつつあった頃だ。だが、徹さんは笑って言った。
「いずれは投手に絞るんじゃないでしょうか? 翔(家族間での大谷の呼び名)は投手でやり残していることがたくさんありますから」
あれから8年。その予想は良い意味で、それも大幅に裏切られた。投打で毎日のように歴史を塗り替え、異次元のステージに突入。メジャーの顔どころか、世界中の野球ファンから注目を集める存在となった。
では、なぜ当時の徹さんは「投手に絞る」と予想したのだろうか。
少年時代からずっと「打者・大谷」に比べ、「投手・大谷」は粗削りだった。粗削りだからこそ、どこまで伸びるか天井も見えなかった。壁にぶち当たり、乗り越える。この姿こそ“翔らしい”と父なりに感じていたのではないだろうか。
'18年にメジャーデビューし、同年秋の右肘のトミー・ジョン手術を経て、'21年に二刀流で本格ブレーク。以来、特に投手で毎年のように投球スタイルのモデルチェンジを繰り返している。投手・大谷の進化の過程を、3つの項目で振り返りたい。
(1)球速
大谷の自己最高球速は、日本ハム時代の'16年CSファイナルステージ・ソフトバンク戦で計測した165km。メジャー移籍後の最速は今年3月のWBC準々決勝・イタリア戦で計測した102マイル(約164.1km)。7年前の最速をまだ更新こそできていないが、球速表示には現れない精度、切れの成長はバックネット裏の記者席からも感じ取れる。
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