日本とアメリカの決勝戦から2日後、カージナルスのキャンプ地では、この日合流するラーズ・ヌートバーが最大のトピックになっていた。幹部や選手から次々に祝福の声をかけられてハグを交わし、ヤンキースとのオープン戦には「7番・左翼」で出場。その後にトレーニングまで終えてからインタビューに応じてくれた。
WBCの激闘を朗らかに振り返っていたヌートバーの様子が変わったのは、表彰式後にチームメイトに胴上げされた場面について聞いた時だった。
「日本ならではの儀式だから、特に君のお母さんは喜んだんじゃない?」と言うと、ヌートバーは突然言葉を詰まらせた。そして、彼は両手に顔を埋め、鼻をすすった。
「すみません……」という声は震えていた。ヌートバーは泣いていたのだ。
そのまま1分以上経っただろうか。
「その涙は胴上げに対して? それともお母さんへのもの?」
あらためて問いかけると、こう答えた。
「どんな息子でも母親に誇らしく思ってもらいたいもの。あれは最高の瞬間だった」
母・久美子さんの存在なしでは、日本代表はおろか野球選手としてのヌートバーもあり得なかった。その感謝を口にした。
「9歳の時に『日本代表になりたい』と言ったことがあって、当時そういう思いを抱いたのは母のおかげ。彼女は野球が大好きで、少年野球の頃はいつも庭でキャッチボールしたり、ブルペンキャッチャーを務めてくれた。彼女の野球への情熱のおかげで僕は野球が大好きになった。大きくなるにつれ、将来、日本代表になれたら、母がもたらしてくれた“自分の中の日本人としての部分”にうまく繋がるだろうと考えていたんだ」
とはいえ、本当に日本代表となり、世界一に貢献できるとは、ましてや涙する両親の目の前で胴上げされるなど夢にも思っていなかった。
「母は感情的な人じゃなくて、むしろ仕事や練習に対しては厳しいタイプ。父だけでなく、そんな母まで涙をこぼすほど感情的になっていたので僕の心にも響いた。胴上げしてくれたみんなに感謝してるよ」
日系選手で初めて侍ジャパンに選出され、チームメイトやスタッフとは誰一人会ったことがなかった。それでも、最初のミーティングでチームメイトが“たっちゃんTシャツ”を紹介して仲間として受け入れてくれたことで緊張がほぐれた。
「日米両国旗に『たっちゃん』と書いてあるTシャツだったし、最初からニックネームをつけてもらえてホッとした。面白かったのは、近藤(健介)が1次ラウンドが終わるまで僕の本名を知らなかったこと(笑)。僕のすぐ後ろで打っていて、場内アナウンスでも言ってたのに。大好きなチームメイトだから許したけどね」
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