2010年王者・笑い飯を中心とした、M-1に青春をかけた芸人たちの群像ノンフィクション『笑い神』が刊行された。そこに登場する、現在も一線で活躍する面々の物語が“A面”であるならば、著者は「“B面”も書きたかった」という――。
今年も3回戦からM-1予選に通った。
酷だな――。
毎年、各段階の合否発表を眺めるたびにそう思う。だが、M-1の巨大な引力は、そこにある。
今年は史上最多、7261組のエントリーがあった。そこから3回戦に残れるのは299組。4%程度だ。ここまでくると、ほぼプロだ。漫才に人生をかけている人たちと言っても過言ではない。
今は解散してしまったが、女性コンビとして初めてM-1決勝に進出したアジアンの馬場園梓は言った。
「自分のネタを人に見せるのって、肛門を見せるぐらい恥ずかしいことなんで」
日常で人を笑わせることは、そんなに難しいことではない。しかし、入場料を取り、人を笑わせる職業に就いている人間としてステージに立ち、おもしろいことを見せてくれて当たり前だと思っている人間を笑わせることは、まさに巨大な岩を動かすくらいのエネルギーを必要とする。ましてや、目の前の人間が自分のことをまったく知らない場合、岩の大きさは何倍にもなる。
だから、芸人は自分をさらけ出すのだ。心を裸にし、全精力を注いで、人を笑わせにかかる。だが、ほとんどの漫才師たちが敗れる。自分の「裸」を否定され、ダメージを負わない人間はいまい。
比率で言えば、M-1は獲得の物語である以上に、圧倒的に喪失の物語である。
昨年10月から今年4月まで『週刊文春』誌上で、「笑い神 M-1、その純情と狂気」という連載をした。そして先日、そこに大幅に加筆・修正を加え、書籍版『笑い神』を世に出した。
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photograph by Shigeki Yamamoto