20年前、THE MATCHをはるかに凌ぐ観衆を集めたイベントがあった。闘魂アントニオ猪木が空を舞い、野獣ボブ・サップがノゲイラに襲い掛かる。K-1とPRIDEの黄金期に、各団体が垣根を越えてタッグを組んだ伝説の大会はなぜ実現したのか。榊原信行氏と吉田秀彦の証言で探る。
6月19日、東京ドームでの『THE MATCH 2022』の熱狂を見ながら、20年前の夜空を思い出していた――。
“燃える闘魂”が、上空からパラシュートで舞い降りてくる。その姿を、9万人を超える大観衆が見守っている。
「気持ちいいね。最高! 病み付きになっちゃ困るけどな」
アントニオ猪木氏が豪快に笑った2002年8月28日、旧国立競技場で開催された一度きりのビッグイベント『Dynamite!』は、THE MATCHより3万人も多く観客を動員した。
当時の格闘技ブームを牽引していたK-1とPRIDE、さらに猪木氏が率いる猪木軍が三つ巴で闘うというスケールの大きな大会だった。総合プロデューサーはK-1の石井和義氏で、大会運営はPRIDEを運営していたDSEが担当していた。現在RIZIN CEOの榊原信行氏はバックステージからこの大会の屋台骨を支えていた。
「本当に格闘技界がひとつになった、みんなが手を携えて開催することができた大会だった。他のメジャー団体との合同イベントは後にも先にもこれ1回限りなんだけど、国立競技場でやったという記憶が一番大きい。それだけ設営が大変だったんです」
無理もない。国立競技場での格闘技イベント開催は初めてだった。先の那須川天心vs.武尊も新国立競技場での開催が噂されたが、結局東京ドームに落ち着く。榊原氏は「もちろん新国立競技場にも下見に行き、6月19日も空いているかどうか確認しました」と幻となった新国立開催案を話す。
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photograph by Takeshi Yamauchi