#769
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<蘇る死闘2010> 本田圭佑 「あのゴールは想定内だった」

2011/01/04
カメルーン戦の前半39分、松井大輔からのクロスを落ち着いてゴールに流し込んだ
劣勢を覆すカメルーン戦の先制点と、予測不能の軌道で
ネットを揺らしたデンマーク戦でのフリーキックは、試合前、
すでにイメージができていたという。
日本代表をW杯ベスト16に導いた想定内の2ゴールは
いかにして生まれたのか。
2010年のナンバーMVPに輝いた本田圭佑の激動の1年と、
大舞台で力を発揮するための独自のメンタルに迫った。

 マイナス20度。

 ここまで気温が下がると、目の中に入れたコンタクトが凍りつき、失明する恐れがあるそうだ。だが、それほどの極寒にもかかわらず、モスクワのヒムキ・スタジアムには約4000人の観客が駆けつけ、ゴール裏の一部のサポーターは上半身裸になって気焔をあげていた。

 12月2日、ヨーロッパリーグF組、CSKA対ローザンヌ――。白い息を吐きながら、ピッチの中央に本田圭佑が立っていた。

 与えられたポジションはボランチで、希望するトップ下ではない。7月にはスルツキ監督と意見がぶつかり、試合の登録メンバーから外されたこともあった。だが、あれから約4カ月が経ち、今ではボランチというポジションを自分なりに消化し、“中央にいるMF”として思い通りにプレーできるようになってきた。

 本田は「まだまだですけどね」と前置きしたうえで、力強く語った。

「誰が前にいようが、誰が後ろにいようが、オレは前に行く。それを主張し続けたことで、まわりがそれに合わせて、システムを変化させるようになってきた。オレに対しての理解が深まったというかね。最近はどういうシステムだろうと、わりとストレスを溜めずに、やれるようになってきました」

本田にとって大きなターニングポイントになった2010年。

 後半16分、3-0とリードしている展開で本田が交代を告げられてピッチを去るとき、スタンドからはスタンディングオベーションが起こった。本田は両手を高く掲げて拍手し、その歓声に応えた。

 日本サッカー界の救世主となった男の、今年最後の公式戦が幕を閉じた。

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photograph by AFLO

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