帰ってきた。ついに戻ってきた。
4年前、トリノ五輪の活躍で日本中にブームを巻き起こした
カーリング日本代表を率いたスキップは、
その後休養の道を選んだが、現役に戻る決意をした。
今ここに、復帰への経緯と決意を語る。
4年前、トリノ五輪の活躍で日本中にブームを巻き起こした
カーリング日本代表を率いたスキップは、
その後休養の道を選んだが、現役に戻る決意をした。
今ここに、復帰への経緯と決意を語る。
その姿は、歳月のたしかな流れを思わせた。
お腹にまだ小さな、小さな赤ん坊を抱えていた。あやすようにわが子に向けられたのは、優しい笑顔だった。
2006年のトリノ五輪は荒川静香の金メダルで記憶されるが、それに劣らぬ関心とブームを起こしたのはカーリング日本代表「チーム青森」である。チームのスキップ(主将)であり、中心にいたのが小野寺歩だった。
以前なら想像できないほどカーリングの認知度が高まった今日への発火点となり、道筋をつけた小野寺は、トリノ後、盟友、サードの林弓枝とともにチーム青森を離れ、北海道で休養の形をとった。
あれから4年と半年が流れた。
結婚を経て一児の母となった小野寺歩は小笠原歩として、やはり一児の母となった船山(旧姓林)弓枝とともに復帰を決意した。
休養の中でも、小笠原は各地で講演活動などを行なう中で、常に言い続けてきた。
「いつかは復帰します」
メダリストの多くが結婚・出産を経て復帰していた。
「いつかは」について、小笠原には思い描くイメージがあった。4年間、オリンピックのために懸けてきて、臨んだトリノ五輪ですべてを出し切り、それでもメダルに届かなかった。足りないのは何か、次を目指すときに必要なのはと考えたときに感じたのは、技術ではなく精神的な強さだった。そして一つの思いに至った。
「メダリストの人たちを見ると、一回休んで、結婚して母親になって戻ってきている選手ばかり。それが強さになっているのかなと感じたし、自分もいつかそういう状況でやってみたいとあのとき思いました」
特製トートバッグ付き!
「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています
photograph by Kiyoaki Sasahara