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「スキップしてニコッと笑って走っている」張本勲の”あっぱれ”秘話…巨人V9戦士・高田繁はポジション脅かされるも「そもそも競争相手にならないですよ」
posted2026/11/06 17:07
安打製造機と呼ばれ7度の首位打者、通算3085安打を記録した張本勲。その意外だった素顔とは…
text by

長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
SANKEI SHIMBUN
発売中のNumber1154号に掲載の[あっぱれな野球人生]張本勲「神の域に達したバッティング」より内容を一部抜粋してお届けします。
張本勲のスキップ
打球は三遊間を抜けていく。すると、打者は一塁へ向かいながら、ふいにスキップした。顔には満面の笑みが浮かんでいた。
1967年、福岡・平和台球場。西鉄の新人だった柳田俊郎(現・真宏)は、その光景を鮮明に覚えている。打者は東映の張本勲。すでに球界を代表する左打者である。
「三遊間のど真ん中にヒットを打ったんですよ。すげぇなと思っていたら、スキップして、ニコッと笑って走っているんです」
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柳田は驚いた。ライトを守っていた自分には、スキップしている理由がわからない。公式戦で、しかも走塁の途中で、なぜそんな振る舞いができるのか。ヒットが嬉しいのは理解できるが、あまりに無邪気で楽し気だった。プロ1年目の若者にとって、張本は話しかけることさえためらわれる雲の上の存在である。疑問は疑問のまま終わるはずだった。しかし、後に柳田は巨人のユニフォームを着ることになり、ずっと遠くから見上げていた張本と、同じチームで野球をする日がやってくる――。
大打者・張本加入の余波
'75年、巨人は球団史上初の最下位に沈んだ。長嶋茂雄が現役を退き、監督に就任した最初のシーズンである。9連覇を築いた常勝軍団は、長嶋という中心を失い、王貞治の打棒にもかつてのような精彩はなかった。このとき、再建の切り札として白羽の矢が立ったのが張本である。日本ハムから移籍し、'76年に巨人の一員となったのは35歳のことだった。現在ならまだ第一線で活躍する選手も多い年齢だが、当時は引退が視野に入るベテランである。この移籍を、柳田は複雑な思いで迎えたはずだ。
V9時代の巨人では、柴田勲、高田繁、末次利光ら実績ある選手たちが定位置を占めていた。柳田は長く代打を務め、わずかな機会に結果を残すことで生き延びてきた。そこへ同じ左打ちの、しかも桁外れの実績を持つ大スターが加わったのである。しかし、本人の記憶に強く残っているのは、ポジションを奪われる危機感ではなかった。

