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「球団の体質にいいイメージは持っていません」球団社長との“密談”で本音…なぜ高津臣吾は「絶縁」決めたヤクルトに戻ってきたのか
text by

高津臣吾Shingo Takatsu
photograph byJIJI PRESS
posted2026/10/09 06:02
2021年、日本一を決めて会見に臨んだヤクルト・高津臣吾監督
「当時の経緯は聞いている。私はそのとき、球団にいたわけではないけれど、あのときのことは本当に申し訳なかったと思う」
驚いた。僕がチームを去ったときに、衣笠さんは球団にはいなかった。それでも、当事者でもなかったトップが、組織を代表して頭を下げている。
心の扉を開けた「一人の男としての誠意」
そこには、体面を取り繕うような言葉ではなく、一人の男としての「誠意」があった。条件や役職、地位や立場、数字を知りたかったのも事実だけれど、僕がいちばん求めていたのは、この「筋を通す行為」だったのかもしれない。
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球団のトップにここまで言わせておいて、なお「ノー」と言い張るほど、僕は野暮な男ではない。衣笠社長の男気、あるいは社長なりの誠意というものが、固く閉ざされていた僕の心の扉を、少しだけ押し開けたのである。
そこから、僕の心境は劇的に変化していった。
もし他球団からオファーがあれば、指導者としてのスタートを、他チームで切る選択肢も考えただろう。でも、衣笠社長による誠実な謝罪を受けた以上、僕は再びこのチームで戦うことを決めた。何も迷う必要はなかった。むしろ、「ここで断ったら男じゃない」という気概まで芽生えていた。
僕に与えられたのは、「一軍ピッチングコーチ」という重責だった。今のチームをどう強くするか? ピッチャー陣をどう立て直すか? チームにとっての最重要課題である。
後に振り返ってみれば、あのとき、誰もいない事務所で社長と向き合った時間は、僕がスワローズという球団と和解し、指導者としての産声を上げた瞬間だったのかもしれない。
当時は、自分が将来監督になるなんて夢にも思っていなかった。
ただ、一軍ピッチングコーチとして、自分ができることを精一杯やろう。そんな思いだけが、胸の中を占めていた。現場の苦楽を選手たちとともに味わいながら、僕は一歩ずつ「スワローズの血」を自分の中に取り戻していったのである。
あの「不信感」から始まった物語が、今の自分へと繋がっている。人生というのは、本当に何が起こるかわからないものだ。
こうして僕は、ピッチングコーチとしてスワローズに戻ってきた。《第1回、第2回とあわせてお読みください》
高津臣吾の著書『愛と哀しみのスワローズ』(KADOKAWA)

