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ハマ街ダイアリーBACK NUMBER
「ストレスなのか蕁麻疹とか出た」DeNA退団→海外挑戦4年目の32歳で始めた“自己改革”「これまでの打撃理論やアプローチをすべて捨てる覚悟で」
text by

石塚隆Takashi Ishizuka
photograph byTomo Otosaka
posted2026/09/30 06:25
横浜DeNA退団後、米独立リーグ球団や巨人を渡り歩いている乙坂智
「スタメンは週1回」の現実
「チームに合流すると、1番から3番までが外野手で固められて、僕が出る余地がなかったんです。マイナーは育成の場ですし、どれだけ打席に立たせるかといった計画もあったようで、なかなか出番が回ってこない。いくら点差が離れていても、スタメンが最後まで守備につき代打を送ることもないんです。レフトの選手がDHに入るときは自分がスタメンなのですが、それも週に1回のことでした」
チームの方針の前に、乙坂はジレンマを抱えることになる。
「最初は毎日試合に出て、調子がよければメジャーへなんて安易に考えていたのですが、実際は選手になにかあったときの代役でした。朝球場に行って、その日のスタメンの張り紙を見て、名前がなければ出番はないし、また明日かって。で、翌日も、その翌日も名前がないことがつづいて、メンタル的にきつかったですね」
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5月16日のアルバカーキ・アイソトープス戦でマイナーデビューを果たした乙坂だったが、入団発表から約1カ月半後の6月28日にチームをリリースされてしまう。出場はわずか9試合(スタメンは6試合)。23打数6安打、2打点、打率.261という成績で、乙坂はようやく立った夢の入口に背を向けざるをえなかった。
少しだけ悔しさを漂わせ、乙坂は言った。
「試合に出られれば結果を残す自信はありました。ただそういう状況を作れなかった自分の責任です」
メジャーを目指すシビアな環境。チームメイトはフレンドリーだったが、試合に挑む際の目の色の違いや、野球に取り組む姿勢に圧倒された。乙坂も負けじとこれまでの経験を総動員して取り組んだが、目指す高みには到達することはできなかった。
レイニアーズのジョン・ラッセル監督にリリースを言い渡されたとき、乙坂の頭のなかは真っ白になった。監督やスタッフ、チームメイトにハグをして別れの挨拶をするが、どこか現実の世界のように思えなかった。
そして帰りのタクシーで、茫洋としていた頭にある思いが浮かんだ。

