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「1年目に大きな衝突をしたんだ」日本ハム元GM高田繁がヒルマン監督に感じた“考え方の差”「采配面で文句を言ったことはないよ。ただ…」
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村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byJIJI PRESS
posted2026/09/14 17:25
高田GMの下で奮闘したトレイ・ヒルマン監督(左)と新庄剛志(右)
その年の戦力を作って現場に渡すチーム編成は、シーズン前に終わる。来年の監督やコーチの問題はもっと後、夏を過ぎてからでいい。編成の人間が365日やらなきゃいけないことは、次のドラフトのためのスカウティングなんだ。3年先、5年先を考えなければ継続的に強いチームは作れない。それがGMの仕事だよ。
「GM制度の肝は、現場との線引きなんだよ」
このGM制度の肝は、現場との線引きなんだよ。チーム作りはフロントでやります。その代わり、シーズンに入ってからは現場のことに一切口を出しません。監督に対して「何やってんだ」「ああしろ、こうしろ」は一切ない。結果が出なければ、我々チーム作りの責任者が受け止めるべきこと。その代わり、監督にもフロントのやることには口出しをさせない。全権監督が主流だった日本ではなかなか受け入れづらかったと思うよ。
俺が幸運だったのは、その当時の日本ハムの監督が、トレイ・ヒルマンだったことだよ。
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ヒルマンは、ヤンキースのマイナーで監督をした経験もある人で、本拠地が東京最終年の2003年から日本ハムの指揮を執っていた。2005年からGM制度を導入するにあたって、現場は何のトラブルもなくすんなり受け入れてもらえたのも、本場のメジャーリーグでそのシステムを当たり前としていたヒルマンが監督だったことが大きかったのだろうと思う。これが日本人の監督であれば、なかなかそうはいかなかっただろうね。
ヒルマンは「GMさん、GMさん」ってよろこんで俺を呼んでくれてね。日本に来たときは野球の違いに苦労していたんだ。やっぱり外国人監督で日本の野球を理解するには多少時間が掛かってね。俺が来る前の就任1年目は5位だったのかな。でも、2年目で3位になってプレーオフに出場した。ヒルマンは監督として、やるべき野球を自らの考えで大きく変えたんだ。ヒルマンにはね、理解しようとする意思と適応する能力があった。日本野球がどういうものかを理解して、バントやエンドランを駆使した1点を大事にする野球を採り入れながら、大胆に行く時は大胆に采配を振る。日本とメジャーの野球をいいとこ取りできるようなね、ひと言でいえば頭のいい指揮官だったよ。

