- #1
- #2
格闘技PRESSBACK NUMBER
大晦日の放送事故「腕を折り、中指を突き立て…」青木真也43歳は本当に“丸くなった”のか? カメラマンの胸を打った“哀しみ”「朝倉未来戦の予想はしない」
posted2026/09/09 12:07
2025年3月23日、エドゥアルド・フォラヤン戦後に感極まる青木真也。ONE Championshipでは長く孤独な戦いが続いた
text by

長尾迪Susumu Nagao
photograph by
ONE Championship Susumu Nagao
PRIDEで連戦連勝も“団体消滅”の憂き目に
2006年2月、青木真也は修斗5戦目にして王者の菊池昭を破り、ミドル級(76kg)のベルトを巻いた。彼は試合直後にリング上で号泣しながら修斗への感謝を述べた。「俺は一生修斗しかやりません」。実はこの年の4月から静岡県警に就職が決まっており、この試合を最後に引退するつもりだったという。ご存知の方も多いと思うが、警察官になるためには半年間は警察学校で学ぶ必要がある。だが青木は警察学校を2カ月で辞め、再びリングへ戻ってきた。
彼が選んだ戦いの舞台は、メジャー団体のPRIDEだった。同団体は2006年6月にフジテレビから放映を打ち切られたばかりで先行きが不安視されていたが、青木はあえて火中の栗を拾いにいったのかもしれない。PRIDE参戦後、青木は一本勝ちを続け、五味隆典に代わる中量級の日本人のエース的な存在になった。
修斗とPRIDEで連戦連勝を重ねた青木の知名度は飛躍的に上がっていた。だが、彼がPRIDEに参戦した翌年の2007年、PRIDEがUFCを運営するズッファ社に売却されると青木は活躍する場を失った。これを機に日本のMMA人気は下火になり、やがて長い冬の時代を迎えることになる。
ADVERTISEMENT
PRIDEの消滅後の2008年、日本にふたつのMMA団体が設立された。ひとつはPRIDEの元スタッフが中心になって立ち上げ、桜庭和志、青木真也、川尻達也らが参加した「DREAM」。もうひとつは吉田秀彦、五味隆典、藤田和之らが参戦し、ドン・キホーテのバックアップを受けた「戦極(SRC)」だった。



