甲子園の風BACK NUMBER
「延長18回と5連続敬遠」の共通点…星稜・山下智茂監督が81歳の今も心に秘める教訓「もしあの試合に勝っていたら、天狗になってクビだったかも」
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byTomohiro Motonaga
posted2026/09/09 11:06
伝説の「延長18回」を指揮した星稜監督・山下智茂は80歳を過ぎた今も野球への情熱が衰えない
「自分で考えることで、いろいろなことに気づくことができる。そうなると、野球のプレーも変わってきますよね。野球をする喜びも改めて感じるようになったようです」
星稜の躍進の原動力になる松井秀喜が入学したのが1990(平成2)年4月だ。その打棒の強烈さから“ゴジラ”の異名をつけられる松井は、1年生で四番を任された。
初めて出場した1990年夏の甲子園は2回戦で敗退したが、翌年夏の甲子園で準決勝進出、1992年春のセンバツでベスト8入りを果たした。
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最後の夏は、2回戦で明徳義塾(高知)に敗れた。松井が5打席連続敬遠されたことが社会問題になった。
「8月16日は僕にとって特別なんですよ。箕島に延長18回で負けたのも、松井の5敬遠で負けたのもその日だから」
40代半ばを過ぎて、山下はこう考えるようになっていた。
「野球は人がするもの。やっぱり人間力を鍛えないと勝負には勝てない。心を磨かないと野球はうまくならないんです。そういうことに気づきました。
私生活が乱れていたらミスが起こるし、勝負に勝てない。星稜の野球も変化しましたし、それで教えることが楽しくなりました。昔は監督がガンガン怒っていたけど、僕が勉強して変わったことで生徒も変化していった。生徒をもっと喜ばせなきゃと思うようになりましたね」
もし“延長18回”に勝っていたら
箕島との延長18回の死闘で敗れたからこそ気づけたこと、そして変化の結果として星稜の甲子園での躍進があった。
「もしあの試合に勝っていたら、天狗になって監督をクビになったかもしれない。『勝負は勝ちゃええんや』と思い込んでいた可能性もあります。そういう意味で、自分を変えてくれた試合でした」
厳しさは以前と同じでも、選手へのアプローチが違った。
「厳しいのは厳しいですよ、そこは変わらず。指導者に大事なものは情熱と愛だと思うんです。それが前に出てきたような気がします」
あの日に生まれた星稜と箕島との絆。山下はのちに両校メンバーによって行われた交流戦で起こったあるシーンをよく覚えている。

