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「急に言われて、冗談かな? と」現役ホールド王に“余命3カ月”宣告…ホークスの仲間の葛藤「本人に"知らない体"で話すのが、ね…」

posted2026/09/03 11:05

 
「急に言われて、冗談かな? と」現役ホールド王に“余命3カ月”宣告…ホークスの仲間の葛藤「本人に”知らない体”で話すのが、ね…」<Number Web> photograph by Koji Asakura

1999年、ホールド王を獲得したダイエーホークスの中継ぎエース・藤井将雄の体に異変が起きていた

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NumberWeb編集部

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Koji Asakura

王貞治率いるダイエーが初の日本一に輝いた1999年。その功労者だった藤井将雄が病に倒れ、世を去るまでに何が起きていたのか……当時の同僚たちが語った記事の凝縮版をお届けします。

 1999年の日本シリーズ第5戦。それが、藤井将雄にとって人生最後の1軍マウンドになった。

 その年、“炎の中継ぎ”と呼ばれた藤井は、当時のパ・リーグ新記録となる26ホールドを挙げ、最多ホールドのタイトルを獲得。「勝利の方程式」の一角として、チーム2番目となる59試合に登板した。

 3勝1敗で王手をかけた第5戦、王貞治監督は3回途中から藤井をマウンドへ送り込んだ。だが、この日の藤井はどこか精彩を欠き、4回に満塁のピンチを招いて降板。そのマウンド上で、捕手の城島健司は“兄貴分”が激しく肩で息をしているのに気づいていた。

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「藤井さん、たばこ吸い過ぎなんじゃない? 病院に行って、早く検査した方がいいよ」

 労いのつもりでかけた軽口だった。しかし後に、その言葉が城島の心に後悔を残すことになる。

秋季キャンプ中に届いた“衝撃の一報”

 日本一の歓喜から10日後の11月7日、福岡市内で30万人が集結した優勝パレードが行われた。その翌8日、藤井は「国立病院九州医療センター」へ精密検査のために入院。レギュラーシーズン後のメディカルチェックで、肺に「影」が映っていたのだ。

 告げられた診断結果は、末期の肺がん。余命3カ月、長くても半年——。

 その事実は、藤井本人には伝えないことになった。そして、この重大な“真相”を最初に知らされたチームメートが、親友の若田部健一だった。

 高知での秋季キャンプ中、藤井後援会の事務局長・北方伸一から突然の電話を受けた若田部は、最初、その内容を信じられなかった。

「そんな風な病気だと、そんなことを急に言われたから、最初は、嘘かホントか分からないし、冗談かな、と思いつつ……」

 いったん電話を切ったものの、よくよく考えれば事態は深刻だ。若田部はすぐに折り返した。「さっきの話、本当なんですか?」

 その後、若田部は王監督をはじめ、選手会長の秋山幸二、広報の斉藤学の3人にのみ、藤井の真の病状を伝えた。しかし、家族の意向から、それ以外のチームメートには告げることができない。

「やっぱり苦しかったですよ。本人には“知らない体”で話さなくちゃいけないんで、それはやっぱり、ちょっと、何か……ね」

 親友が「死」に直面している。その真相を、当の本人は知らない。30歳だった若田部が、その重荷をどう抱え続けたのか——そして、王が藤井に送った「6月に照準を合わせて、戻って来てくれたらいい」という言葉の背景にあったものは、本編にさらに詳しく描かれている。

つづく

 この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。

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