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甲子園を連覇した池田高校監督の“虚無感”「蔦さんは感傷に浸れない」のナゾ…特攻から帰還→高校野球の“神様”に、蔦文也とは何者だったのか?

posted2026/09/03 11:02

 
甲子園を連覇した池田高校監督の“虚無感”「蔦さんは感傷に浸れない」のナゾ…特攻から帰還→高校野球の“神様”に、蔦文也とは何者だったのか?<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

池田高校を率い、3度の甲子園優勝を果たした蔦文也監督

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岡野誠

岡野誠Makoto Okano

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BUNGEISHUNJU

公立高校ながら、甲子園に旋風を巻き起こし、3度の全国制覇を成し遂げた徳島・池田高校の蔦文也監督。栄光の裏で様々な意見が飛び交う彼は一体、何者なのか――。彼の遺族や関係者に丹念に取材を重ねた書籍『監督、神になる 池田高校 記憶の衝突』(文藝春秋)が反響を呼んでいる。今回、著者・田中仰と『戦中派 死の淵に立たされた青春とその後』(講談社現代新書)で第74回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した前田啓介との対談が実現。“戦中派”という立場が蔦の人生に及ぼした影響を考察した。【全3回の最終回/第1回第2回も公開中】

◆◆◆

 生前、蔦は山際淳司との激論集『強うなるんじゃ!』で、「酒」について話している。

《ビール1本全部飲むんでなくね、最後にこのぐらい(ビンの底に数センチ)残しておくのがええな。だれが見てもきれいや。空ビンは空虚や。ああ、残っておるという、それがええんじゃ。残すということはええのよ》

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 田中は『監督、神になる』を執筆中、この言葉が頭から離れなかったという。

「蔦さんは言葉を敵のように嫌う」

田中 蔦さんの素直な心情を現しているような気がしましたし、言葉を持っている人だと感じました。一方で、野球部の部長を務めた白川進先生は「蔦さんは言葉を敵のように嫌う」と仰っていました。ここに蔦さんが抱えていた“何か”があるように思いました。

前田 白川さんの見立ては、非常に鋭く感じます。蔦さんは同志社大学卒業という経歴から見ても、言葉でモノを考える人だと思います。だから、普段は口数が少ないかもしれないけど、いわゆる名言が出てくる。青春時代、「なぜ自分は戦争に行くのか」「どうして死ななきゃいけないのか」と考え尽くしたはずです。でも、戦争による死を目の前にすれば、何を言っても空虚になってしまう。だから、言葉への不信感や思考への虚しさを感じていたのでは。

田中 ある種、言葉に踊らされてきたというか、虚無感を抱いていた。

前田 戦時中は、言葉と思考が意味を成さなくなる。自分が戦争で死ぬ意味は何か。どれだけ考えても答えは出てこない。その虚しさが、心の中にあったのでしょう。

甲子園優勝でも、喜びを爆発させなかった

 蔦は監督就任20年目の71年夏、甲子園初出場を果たす。3年後の春には、部員11人で準優勝に輝く。79年にも、夏の甲子園で準優勝。監督と部員の会話はほとんどなかったが、関係は良好だった。当時のエース・橋川正人が熱で寝込んで練習を休んだ時、蔦は寮の階段を駆け上がり、「これ飲んどけ」と薬の入った瓶を投げ、すぐに立ち去った。ぶっきら棒な姿に、橋川は愛情を感じた。

【次ページ】 「目標とする人は?」「そんなものはいません」

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