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甲子園を連覇した池田高校監督の“虚無感”「蔦さんは感傷に浸れない」のナゾ…特攻から帰還→高校野球の“神様”に、蔦文也とは何者だったのか? 

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岡野誠

岡野誠Makoto Okano

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photograph byBUNGEISHUNJU

posted2026/09/03 11:02

甲子園を連覇した池田高校監督の“虚無感”「蔦さんは感傷に浸れない」のナゾ…特攻から帰還→高校野球の“神様”に、蔦文也とは何者だったのか?<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

池田高校を率い、3度の甲子園優勝を果たした蔦文也監督

 82年夏、池田高校は畠山準や水野雄仁を擁して悲願の甲子園初優勝を成し遂げる。長嶋茂雄は「蔦監督はパワー重視で高校野球の流れを変えた」と賛辞を送り、野村克也は「蔦さんなら息子を預かってもらいたいと思う」と称賛した。

田中 普通、甲子園で優勝したら、喜びを爆発させると思うのですが、白川先生は「蔦さんは感傷に浸れない」と仰っていた。戦後、前田さんの御祖父もラジオの製造、販売で成功したものの、100%喜びを享受できたかといえば、そうは見えないと書かれていた。蔦さんにも似た心情があったのではないかと思いました。

「目標とする人は?」「そんなものはいません」

前田 白川さんの《夢を作り、夢に浸り切れないですぐに現実に回帰する蔦さんの性格を、私は強い人だと思うが、幸せな人だとはどうしても思えない》(書籍『俺たちの蔦野球 子供たちはついてきた』)という言葉も印象的でした。戦争中に戦中派も若者らしく将来に希望を持っていた。ただ彼ら自身、その夢がかなわないと分かっていた。戦争で死ぬことは避けられない情勢でしたから。だから、戦後になっても夢を持つことに自信が持てず、ずっと虚無感を抱いていた。吉田満は日本銀行の要職に就き、著書『戦艦大和ノ最期』が映画やドラマにもなった。それでも、どこか心に虚しさを抱えていた。戦後生まれの人からすれば、不思議だったと思います。

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田中 蔦さんは山際淳司さんに「目標とする人は?」と聞かれた時、「そんなものはいません」と返答しています。これも、蔦さんらしいと感じました。何かを絶対視することがない。

前田 なかっただろうと思いますね。健康な身体を持っていれば、その後も人生が続くはずが、そうではなかったように、当たり前のことが、何度も当たり前ではなくなっていますからね。甲子園で優勝して、蔦さんは満たされたのでしょうか。

田中 取材を重ねると、蔦さんには本当に酒と野球しかなかった。ゴルフや麻雀をするわけでもない。蔦さんは、遊べないんです。ただ、野球を心底好きというより、捧げるものが野球しかなかったという感覚が近いんじゃないかと思います。

前田 一心不乱に取り組める何かを求めたような気もしますね。ウチの祖父も仕事が好きだったというより、一つのことに没頭したかったように感じます。人生を懸けられるモノを必死で探そうとしていた。

【次ページ】 蔦監督は「神」になっていく

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