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「甲子園で燃え尽きて…」池田高校の優勝メンバーが明かす“苦悩の人生”その後「無性に苦しかった」「縁もゆかりもない高松に引っ越して楽に」

posted2026/08/30 11:02

 
「甲子園で燃え尽きて…」池田高校の優勝メンバーが明かす“苦悩の人生”その後「無性に苦しかった」「縁もゆかりもない高松に引っ越して楽に」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

「甲子園優勝で燃え尽きて…」池田高校“あの主力メンバー”が明かす、その後の人生

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田中仰

田中仰Aogu Tanaka

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Hideki Sugiyama

名門・池田高校はなぜ甲子園から“消えた”のか? 蔦文也は本当に名監督だったのか、それとも――? “高校野球界最大の謎”を追ったミステリーノンフィクション『監督、神になる 池田高校 記憶の衝突』(著:田中仰)発売即重版になるなど、反響を呼んでいる。
 今回は同作品の第4章から、一部を抜粋して紹介する。1986年春の甲子園優勝メンバー、森桂一郎の証言。【全3回の3回/第1回、第2回も公開中】※肩書などはすべて取材時のもの

 高校卒業と同時に、森は野球をやめた。首都圏の強豪大学に進学することもできたが、都内の銀行への就職を決めた。

「甲子園の光はまぶしすぎた」

 自分は何者かになれるだろう。そんな自信が社会に出たばかりの森にはあった。しかし、何年経っても、仕事に熱くなれなかった。

 営業成績で同期に負けた。悔しく思いながらも、どこか頑張りきれない自分がいた。それでも甲子園よりも熱くなれる何かが、いつか眼前に現れるものだと信じていた。

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 たかが高校野球を引きずるなんてあまりに馬鹿すぎやしないか。何度も自分に言い聞かせた。だが現実に、甲子園よりも森を熱くするものはなかった。

「甲子園の光はまぶしすぎた」と森は言った。だがわたしはこう思う。日本で最も愛された野球部で優勝したことが、まぶしすぎたのだ。その後の人生がやけに色褪せて退屈に感じられるほどに。

 僕ね、と森が切り出した。

「二〇代、三〇代のとき、無性に苦しかったんですよ。田中さんはそういうのないですか」

 わたしは答えに詰まった。

 自分の口から話さなかったが、森は甲子園で二本の本塁打を放っていた。優勝校の主力であった。森のように鮮烈な成功体験をわたしはもっていない。だからすこし考えて「焦燥感のようなものですか」と話を促す相槌にとどめた。

「そうです。それが四〇歳になったくらいから、一気に楽になったんです」

「それは何が変わったからだと思いますか」とわたしは訊いた。

【次ページ】 「なんであんなに苦しかったんだろう」

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