甲子園の風BACK NUMBER
「ええか、戦争だけは絶対にしたらいかん」甲子園の猛将は“平和の語り部”でもあった…池田高校の快進撃が“異様な熱気”を生んだ本当の理由
posted2026/08/29 11:05
池田高校を率い、3度の甲子園優勝を果たした蔦文也監督
text by

近藤雅人Masahito Kondo
photograph by
AFLO
生前の蔦監督と親交が深く、当時の著作の担当編集者でもあった近藤雅人氏が、本作への率直な思いとともに、蔦監督を変えた“壮絶な戦争体験”を明かす。【全3回の最終回/第1回、第2回も公開中】
◆◆◆
甲子園での快進撃で池田高校が世間の注目を集めだしたころ、旧池田町内(現・三好市)でまことしやかにささやかれた噂話があった。野球部監督の蔦文也氏が赤坂御苑で催される天皇・皇后両陛下主催の園遊会に招かれたが、出席を断ったというのである。町内から批判が湧きおこったとも聞く。ことの真偽は不明だ。しかし、この噂を聞いて私はありうる話だな、と思った。
あくまで噂の域を出ない話だが…
まず、私は知人のある劇作家から直接に聞いたことがあるのだが、内々に宮内庁から褒章の授与を打診され、断ったという。演劇は自由であるべきだと考えていたその作家は、国から章を授かることに抵抗を覚えたらしい。もちろん、受賞は個人の自由意思で決めるべきものだから、第三者がそれをとやかく言うことは控えるべきだ。
ADVERTISEMENT
そのことはともかくとして、宮内庁が園遊会の招待状を出す前に、それとなく出席予定者に打診するというのはありうる話だな、と私は思った。公式に招待状を発表してしまっては、当事者が断ったことが分かると場合によっては世間から非難されかねないだろうし、断られた宮内庁も体面上具合が悪かろうと推察するからだ。
もちろん、私の類推に確証はないし、宮内庁が出席を打診した者のリストを記録として残すことはないだろうから、蔦氏に果たして打診があったのか、なかったのか、確かめようがない。たとえメモのようなものが残っていたとしても、公表されることはまずないだろう。したがって、蔦氏が園遊会への招待を打診されて断ったという事実があったのかどうか、確かめる術はない。あくまで噂の域を出ない話である。

