甲子園の風BACK NUMBER
「よく来れましたね?」池田高校“甲子園優勝メンバー”に再取材…徳島へ“越境入学”した男の告白「まるで仙人だった」初めて蔦文也と対面した衝撃
posted2026/08/30 11:00
1986年、春の甲子園を制した池田高校。80年代、これが同校3度目の甲子園優勝となった
text by

田中仰Aogu Tanaka
photograph by
Katsuro Okazawa/AFLO
今回は同作品の第4章から、一部を抜粋して紹介する。1986年春の甲子園優勝メンバー、森桂一郎の証言。【全3回の初回/第2回、第3回も公開中】※肩書などはすべて取材時のもの
二〇二五年一二月、わたしはある男に会うために高松にいた。
彼と初めて出会ったのは、同年一一月、池田のグラウンドだった。
そのときわたしは、野球部監督の井上力に苦言を呈されていた。
ADVERTISEMENT
井上とわたしの間に気まずい沈黙が流れているときに、グラウンドへ現れたのが森桂一郎だった。井上と高校時代の野球部同期である。
「キウイ畑で…」森桂一郎の再取材
わたしがあの記事を書いた記者だと知ると、森は「よく、来れましたね?」と言った。
やや気後れすると同時に、そのあっけらかんとした、裏表のない率直な反応にわたしは好感を持った。噓がない人だと思えたからだ。
森との雑談のなかで、「今さら故人を汚さないでほしかった」という記事に対する不満が伝わってきた。だが一方で森は「川原コーチがいなければ僕らの代は優勝できなかった」という事実も認めていた。
当事者でありながら、学校とも川原とも適度な距離があり、どちらの利害関係にも絡めとられていない森から、蔦と金についての考えを聞いてみたいと思った。
森は取材を了承してくれた。取材場所は畑だった。
「妻がキウイ畑をやっているので畑に来ていただけるとゆっくり話ができると思います」
ショートメッセージにはそう記されていた。
高松駅から内陸方面へ車で一〇分ほど。朝八時半に到着したキウイ畑で、森は枯れ枝を焼いていた。白いメッシュキャップとペールブルーのロングTシャツが、煤で汚れている。
小柄だが筋肉質で引き締まった身体が、一九八六年に甲子園で優勝した「三番ショート」の面影を残していた。
森はキャンプ用の椅子をわたしにすすめた。
開口一番、「なぜ僕に話を?」と森は言った。面と向かってきっぱりと「よく来れましたね?」と言われたことが小気味よかったからだと伝えると、森は声を上げて笑った。

