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「介錯してくれるのはコジしかいない」負傷、難病で立つのも困難に…天山広吉ラストマッチに小島聡と蝶野正洋の万感「ありがとうございました!」
posted2026/08/25 11:02
天山広吉の引退セレモニー。狼群団、nWoでともに戦った蝶野正洋の挨拶には万感が込められていた
text by

二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
Asami Enomoto
2002年1月、プロレス界に衝撃が走る。
アントニオ猪木主導による新日本プロレスの格闘技路線に反発した武藤敬司が全日本プロレスに移籍し、天山広吉の盟友である小島聡も追随した。人気タッグチームのテンコジも自動的に解体となった。のちに小島は武藤から「天山と相談して決めるんじゃない。お前自身で決めろ」と言われたことを明かしている。
当時の心境を尋ねると、天山は苦い表情を浮かべた。
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「テンコジで凄く手応えを感じていて、俺としては“これからもっと上に行くぞ”という思いでした。その噂を聞いたときは、ショックでしたよ。裏切られた気持ちは多少なりともあった。でもコジから直接『向こうに行くつもりです』と言われて、説得はしてみたけど気持ちは固まっていましたね。もうこれは仕方ないなって。
まあ、新日本プロレスが揺れた時期ではありましたけど、自分自身は退団とか移籍とか考えられなかった。だって入門2日目で逃げて、(山本)小鉄さんに許してもらって再入門させてもらった身ですから。ああ、もうコジと試合をすることはないんだなって」
「あの涙を返せ、と」
天山は泣いた。もう二度とタッグを組めないと思うと、思いがあふれ出た。
新日本最後となったタッグでは「出ていけタコ!」と言いながらも「頑張れよ」とも言ってしまうのが彼である。だが武藤全日本との交流によって翌年の1・4東京ドームで再タッグを組み、「あの涙を返せと思いましたよ」と結局は“腐れ縁”として続くことに。そしてパートナーからライバルに形を変えていく。
新日本のトップ戦線にいながらも、天山にはまだシングルのビッグタイトルがなかった。

