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PL学園・清原和博のスイングは「落合博満級」だった…では、桑田真澄は?「とぼけた顔をしてポーンと打つ」審判員が甲子園で見た“異様な打撃センス” 

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安藤嘉浩

安藤嘉浩Yoshihiro Ando

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photograph byKatsuro Okazawa/AFLO

posted2026/08/22 06:02

PL学園・清原和博のスイングは「落合博満級」だった…では、桑田真澄は?「とぼけた顔をしてポーンと打つ」審判員が甲子園で見た“異様な打撃センス”<Number Web> photograph by Katsuro Okazawa/AFLO

PL学園2年時の桑田真澄(当時16歳)。投手として甲子園通算20勝の記録を残したが、打者としても類まれなセンスがあった

「これはね、高校生の打ち方と違いましたね」

 まったく同じ印象を語った審判員がいる。桂等だ。関西大学OBの桂は、清原たちが3年生だった1985年夏から2008年夏まで甲子園大会に参加。春夏合わせて7回も決勝の球審を務めた審判員だが、大阪府高野連所属のため、甲子園でPL学園の試合はジャッジしていない。

 一緒にグラウンドに立ったのは大阪大会。清原が2年生の夏には、近大付との準々決勝で球審をしている。

「ピッチャーが投げるでしょ。見逃すねんな、と思ったら、そっからパーンッとバットが出てくる。それがホームランになるんですわ。これはね、高校生の打ち方と違いましたね」

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 この試合でも清原は、日生球場の左中間席に打ち込んでいる。

「ぼくらが考えている高校生のポイントではないわけや。こいつはすごいと思いましたね。今まで見た中で、彼以上にすごいと思ったバッターはいないですね」

 関大一高、関西大学で桂の1年先輩にあたる木嶋一黄も、大阪大会で「KKコンビ」の試合を担当している。関大では主将を務め、社会人野球の京都大丸でもプレーし、家業を継いだ25歳のときに大阪府高野連の審判員となった。1976年からは甲子園大会でもジャッジし、1979年夏には箕島(和歌山)対星稜(石川)の延長18回に二塁塁審として参加している。

 あらかじめ選手名を覚え、「○○君、ボールを交換するか?」などと名前で呼びかけるよう心がけた。「その方が選手も気持ちいいだろうし、いい試合運営ができる」と考えたからだ。黒子に徹して選手に寄り添う木嶋の姿勢は、審判員の後輩たちに脈々と受け継がれている。

1年生の桑田真澄が信頼を勝ち取るまで

 その木嶋の1983年の記憶だ。

「試合前のメンバー交換で、大阪府高野連の先生に『木嶋さん、PLの先発は1年生ですよ』と言われたのをよく覚えています」

 1年生だった桑田真澄の初登板は1983年7月26日。中村順司監督が桑田の先発起用を選手に伝えると、「俺たちの夏は終わった」と嘆く3年生もいたという。

「それがアウトを1つとるごとに、先輩たちが声をかけてくれるようになったんです」という回想を、桑田本人から取材したことがある。背番号「17」は2安打完封で起用に応え、1年生4番の清原も本塁打を放った。大阪球場での4回戦だった。

【次ページ】 「桑田、フォークを投げや。絶対に打たれへんで」

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