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清原和博16歳の「オウッ」に塁審ビックリ…甲子園史上最強打者の“意外な素顔”「まったく嫌味がないんです」「素直で、ええ子」審判員が語るKKコンビ

posted2026/08/22 06:01

 
清原和博16歳の「オウッ」に塁審ビックリ…甲子園史上最強打者の“意外な素顔”「まったく嫌味がないんです」「素直で、ええ子」審判員が語るKKコンビ<Number Web> photograph by Katsuro Okazawa/AFLO

PL学園1年時、1983年夏の甲子園決勝での清原和博(当時16歳)。すでに高校生離れした迫力を備えていた

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安藤嘉浩

安藤嘉浩Yoshihiro Ando

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長い歴史のなかで数々の名場面が生まれてきた甲子園。決定的瞬間を最も近くで目にした審判たちはそのとき、何を思っていたのか。桑田真澄と清原和博。甲子園史上もっとも鮮烈な輝きを放った最強コンビのすごみを、歴戦の審判員たちが語った。(全2回の1回目/後編へ)※文中敬称略

◆◆◆

 高校野球の歴史に残る最強コンビといえば、PL学園(大阪)の桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」で異存があるファンはいないだろう。1年夏から5季連続で甲子園に出場し、優勝2回、準優勝2回、ベスト4が1回。エースの桑田は学制改革後最多の通算20勝をあげ、4番の清原は歴代最多の通算13本塁打を放った。

 同じグラウンドで彼らの活躍に接した審判員は、何を感じていたのだろうか。

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「KKコンビ」が鮮烈な甲子園デビューを飾ったのは1983(昭和58)年夏。PL学園は1981、1982年と春の選抜大会を連覇していたものの、夏の甲子園は「逆転のPL」で初優勝した1978年以来5年ぶり。中村順司監督になって初めての夏だった。

 その原動力になったのが1年生右腕の桑田真澄と、1年生4番の清原和博だ。

1年生で身長186cm「でっかい選手やなあ」

 1回戦は背番号「11」の桑田が5安打完投で所沢商(埼玉)を下し、2回戦も桑田が3安打完封して中津工(現・中津東=大分)に快勝した。ただ、すでに背番号「3」の4番・清原は2試合とも無安打だった。

 清原の甲子園初安打は3回戦の東海大一(現・東海大静岡翔洋)戦。1回に左前安打を放つと、4回には左前タイムリーを放った。

 この試合で一塁塁審を務めていたのが清沢忠彦だった。

 県岐阜商の左腕エースとして甲子園大会に春夏2回ずつ出場。2年生だった1956年には春夏とも準優勝投手となり、1957年夏には無安打無得点試合も達成している。

 清沢は慶応大学、社会人野球の住友金属でも活躍し、監督もしたあと、1973年夏から甲子園大会で審判員を務めていた。清沢が球審として、左腕からさっそうと投手にボールを投げ返す姿を楽しみに観戦するファンもいたと言われる。

 ちなみに、1976年春の甲子園大会で鉾田一(茨城)の戸田秀明が無安打無得点試合を達成した一戦では球審をしている。

「同じ左投手でね、ぼくが岐商で『ここに投げろ』と毎日言われた右打者の内角に、力のあるストレートを投げ込んできた。いいピッチャーでしたよ」

 甲子園で投手として無安打無得点試合を達成し、球審としても立ち会った稀有な人物である。

 その清沢は、すでに身長186cmだった1年生の清原を、「でっかい選手やなあ」と見上げた。

【次ページ】 清原和博“無言の迫力”「いやな印象は抱かなかった」

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