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審判たちの甲子園BACK NUMBER
PL学園・清原和博のスイングは「落合博満級」だった…では、桑田真澄は?「とぼけた顔をしてポーンと打つ」審判員が甲子園で見た“異様な打撃センス”
text by

安藤嘉浩Yoshihiro Ando
photograph byKatsuro Okazawa/AFLO
posted2026/08/22 06:02
PL学園2年時の桑田真澄(当時16歳)。投手として甲子園通算20勝の記録を残したが、打者としても類まれなセンスがあった
「いや、ぼくが球審をしたのは万博ですね。万博記念公園野球場です」と木嶋は否定する。残念ながら、「KKコンビ」の実質的なデビュー戦ではなかったようだ。
木嶋が球審をしたのは、続く5回戦だった。7月28日、先発は桑田ではない。同じ1年生で192cmの長身右腕、田口権一だ。「入学当初、目立っていたのは清原と田口。将来のエースは田口だと思っていた」と振り返る同級生もいる。
木嶋が「1年生ですよ」と伝えられたPL学園の先発投手は桑田ではなかったのだ。
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ただ、3回からは桑田が救援し、9回まで投げ切っている。4番の清原も活躍し、2試合連続の本塁打を放った。
「すごいバッティングをする打者がおるな、と思ったら、『PLは4番も1年生ですよ』と試合後に教えられ、またビックリした。そやから、よう覚えています」
「桑田、フォークを投げや。絶対に打たれへんで」
ようやく桑田の話が出てきた。実は各審判員の桑田に対する印象は、清原ほど強く残っていない。
「ストレートとカーブしかない。取手二(茨城)にヤマを張られちゃったね」と振り返るのは布施勝久。延長10回に4失点して4-8で敗れた1984年夏の決勝で球審を務めた。
「ただ、コントロールはめちゃくちゃよかった」
大阪大会でジャッジした桂も「ピッチングがうまいなという記憶はあるが、ストレートがすごいわけやない。そやから、それほど印象には残っていない」と打ち明ける。
高校時代の桑田が将来を見据え、直球とカーブだけで勝負していたのは有名な話だ。実際にはスライダーもフォークも投げることができた。
「桑田、フォークを投げや。絶対に打たれへんで」。ピンチでマウンドに集まったとき、清原が言っても投げなかったとチームメートは振り返る。
この点についても、桑田本人に聞いたことがある。
「同じ真っすぐでも角度をつけるんです。ぼくはプレートを幅広く使った。位置を変えれば、真っすぐが“シュート”にも“スライダー”にもなるんです。相手を見ながら、スピードも変える。観察力がつきました。大切なのはコントロールです。2種類で勝負するぼくに、野球の神様は色んなことを教えてくれました」

