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甲子園「史上最強の公立高」箕島はいかに1979年“春夏連覇”を成し遂げたか…前年「せいぜいC評価」からの成長のワケをエースが語る
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byKYODO
posted2026/08/26 17:00
史上3校目、公立高としては史上唯一の春夏連覇を成し遂げた1979年の箕島高。その強さの秘密をエースだった石井毅が語った
東尾(西鉄ライオンズなど)をはじめ、1970年の優勝メンバーである島本講平(南海ホークスなど)、1977年の日本一に貢献した上川誠二(中日ドラゴンズなど)、石井雅博(読売ジャイアンツなど)など、箕島で活躍した多くの選手たちがその後、プロ野球に飛び込んでいった。
その2度目のセンバツ制覇を甲子園球場のアルプススタンドで見ていたのが、2年後に箕島の春夏連覇に貢献する石井毅(現・木村竹志/西武ライオンズ)だった。
「エースの先輩がひじを故障したために、入学後すぐに登板するチャンスをもらいました。1学年上にひとりかふたりいましたけど、ピッチャーが少なくて」と石井は言う。
1年生から試合で登板していた石井
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1977年、石井は1年生の春からマウンドに上がり、強豪校と対戦することになった。
「センバツ優勝校なので全国から招待されて、練習試合を行いました。はじめは米子(鳥取県)で、そのあとに星稜(石川)にも行きましたよ。小松辰雄さん(中日ドラゴンズ)がおられて、ものすごく速い球を放っていました。バッターボックスで見て、びっくりしました」
甲子園初出場から10年ほどで、箕島は誰もが認める甲子園の常連になり、強豪校の仲間入りをしていたのだ。
「先輩方がしっかりとしたレールを敷いてくれていたので、それに乗っていったという感じですね。どこの高校の新入生もそう感じるのかもしれないけど、3年生の先輩たちがものすごく大きな存在に感じました」
監督が課す猛練習と厳しすぎる上下関係が、野球強豪校では珍しくなかった時代。入学したばかりの1年生にとって居心地のいい空間ではなかった。
「先輩とトスバッティングをするのが嫌でねえ……ちゃんと投げろ、しっかり打ち返せというプレッシャーを感じたものです」
限られた遠征メンバーに選ばれた石井に逃げ場はなかった。

