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横浜高校“歴代最強エース”は誰なのか…“怪物”松坂大輔と元監督・渡辺元智が語っていた“背番号1”の条件「人間的には丹波しかない。“サボりのマツ”は…」
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石田雄太Yuta Ishida
photograph byHideki Sugiyama
posted2026/08/18 17:01
横浜高校“歴代最強エース”は誰なのか? 松坂大輔と渡辺元智が語っていた“背番号1の条件”とは…
「何ひとつ、世話を焼かせる選手じゃなかった。成績も優秀、野球もうまい。こんな子がなぜウチの高校に来てくれたんだろうというほどの文武両道でした。練習試合では背番号はつけないから試合で1番をつけたことはないんだけど……この写真も背中は写っていないでしょ。背番号は10か11じゃないかな。ウチで“最強のエース”と訊かれたら結果がすべてでしょうから松坂大輔しかいないんだけど、人間的に言えば丹波しかいない。野球を評価するか、人間を評価するか。丹波にはオーラがあるんです。高校生なのに近寄りがたい雰囲気があった。威風堂々としていた。野球への取り組み方も、丹波はどこ行ったのかと思えば外野で走ってる。このあたりは『サボりのマツ』とはまったく違う(笑)。まさにウチのエースに相応しい選手でした。だから亡くなったときは……ショックでした」
松坂大輔が横浜へ入学したのは丹波が亡くなってから約8カ月後、'96年の春のことだ。丹波が生きていれば、3年のエースと次代を背負う1年という関係だった。松坂が入学したとき、横浜の1番は丹波と同学年の松井光介(のちにスワローズ)が背負っていた。松井はこう言っていた。
「背中で引っ張っていける、すごい力を持ったエース。それが横浜の背番号1のイメージです。僕はそうではなかった。みんなが認めるエースは丹波でした。でも、誰かが1番をつけなきゃいけない。だったら丹波のために、丹波の力を借りて、丹波を甲子園へ連れて行こうと、ただガムシャラに投げました。1番をつけた僕の1番への想いは他の人より強かったかもしれません」
松坂が語る“横浜の背番号1”
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'96年夏、横浜は甲子園へ出場した。初戦では北嵯峨(京都)を逆転で下したものの、次戦で福井商に今度は逆転されて敗れ、ベスト8を目前に甲子園を去った。1年の松坂はスタンドからその戦いを見ていた。松坂は当時をこう振り返っている。
「松井さんはそんなに大きな選手じゃないのに、存在感がありました。1年と3年なんで会話はほとんどなかったんですが、練習中の松井さんの姿勢は目に焼き付いています。アメリカンノックを何十本やっても最後までスピードが落ちない。その体力差に愕然とさせられましたし、走る量もすごかった。どんなときも抜かないんです」
1年の冬、松坂はひたすら走らされた。入学時、85kgあった体重は72kgまで落ちた。そして2年春の関東大会で、松坂はついに1番を託される。横浜の背番号1に丹波の想いは込められていたと思うか、という問いに、松坂はこう答えた。
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