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野球クロスロードBACK NUMBER
あのPL学園“伝説の名将”の孫が甲子園に!?「福留孝介の付き人」“PLの子”だった父が語った「最強軍団の裏側」と「親子3代で目指す甲子園」
text by

田口元義Genki Taguchi
photograph byJIJI PRESS
posted2026/08/06 11:01
PL学園を率いて甲子園で春夏通算6回の全国優勝を果たした名将・中村順司。孫の盛汰は今夏の甲子園に佐野日大の主将として出場
偉大なる父を持つ猛安だからこそわかるのだ。自分たちが中村順司の血を継ぐ以上、その宿命を受け止めるべきなのだ、と。
猛安は自分を「PLの子」と言う。
1979年にPL病院で生まれた翌年に父がコーチから監督に昇格した。幼稚園、小学校、中学校が系列と、生粋の経歴をたどる。
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全国の精鋭が特待生として集まるPL学園において、誰もが中学からエスカレーター式で野球部に入れるわけではない。そんななか、猛安は実力で狭き門を突破し、父とともに高校野球の道を歩むこととなった。
「監督の息子」でも…“天下のPL”に特別扱いはナシ
ほかの親子鷹と同じように、高校進学後の猛安と父は「選手と監督」以上の関りはなくなった。今では世間に広まっているPL学園の厳しい上下関係においても、「監督の息子」だからと特別扱いされなかった。
1年生が3年生部員の身の回りの世話をする伝統の“付き人制度”で、猛安は小林亮寛(元ロッテ)とともに福留孝介に付くこととなった。
当時「高校ナンバーワン野手」と呼ばれた先輩は、人前で努力を見せなかったという。「だから、ユニフォームの洗濯とか楽でしたよね。泥をしっかり落とすのが靴下くらいだったんで」と、猛安は笑う。
自身がコントロールに優れた内野手だったこともあり、自主練習ではバッティングピッチャーを頼まれることもあった。そんなときは必ずアドバイスをしてくれたのだと懐かしむ。
グラウンドや寮生活において、猛安は他の選手と同じように過酷な日々を過ごした。
<次回へつづく>

