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「クソガキでしたからね…」女子バレー島村春世(34歳)減量命令に反発した若手時代「突然ジョンと呼ばれた日」から日本代表の大黒柱になるまで 

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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photograph byJVA/AFLO SPORT

posted2026/07/10 11:02

「クソガキでしたからね…」女子バレー島村春世(34歳)減量命令に反発した若手時代「突然ジョンと呼ばれた日」から日本代表の大黒柱になるまで<Number Web> photograph by JVA/AFLO SPORT

「ジョン」の愛称でチームメイトから絶大な信頼を集める島村春世(34歳)

 Vリーグで優勝候補に挙げられるNECでは、一つ一つのスキルも、求められることのレベルも、まったく違った。1年目はほとんど試合に出ることができず、心が折れそうな現実が何度も突きつけられた。

 バレーボール選手としてのキャリアにおける一度目の転機が中3の練習参加だったとしたら、二度目はNECでの2年目のシーズンだ。

 その年に自信を得るような活躍を残したわけではない。じつはこのとき、島村は「バレーもNECも辞めよう」と考えていた。

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 そもそも、島村には「減量命令」が下っていた。当時の体重、体脂肪率ではケガをするリスクが高いからと、身体を絞るためのウエイトトレーニングやラントレに加え、食事制限も命じられていた。

 一人だけ、全体練習にすら参加できず、毎日ただ黙々と走るだけのメニューをこなす日々。当時19歳。プロ意識もない幼い島村に芽生えたのは、反発心だけだった。

「まぁクソガキでしたからね。言われたことをやってはいるけど、内心では『何でこんなことをしなきゃならないんだ』とか『プレーで見せればいいんだろ』と思っていたんです。やる気がないから、当然、減量のノルマもクリアできるわけがない。自分ではなく、外に矢印を向けて、ふてくされたまま。あのまま意識が変わらなければ、とっくに終わっていたと思います」

「来年結果が出なかったら辞めます」

 では、何が島村の意識を変えたのか。

 当時のNECは長年、日本代表でも活躍した杉山祥子を筆頭に経験豊富な選手がそろっていたが、負けが続き、まさかの最下位でシーズンを終えていた。下位リーグとの入れ替え戦では日立リヴァーレ(現・Astemoリヴァーレ)に2連勝し、何とか残留を決めた。安堵の涙を流す先輩たちの姿を見た島村は、ハッとした。

「みんな必死だった。誰か一人でも、自分のような投げやりな選手がいるとチームの成績にも影響するんだ、ってその時初めて気づかされたんです。自分は悪くないとずっとふてくされていたけれど、やるかやらないかは自分次第。だから、3年目のシーズンを“最後のチャンス”と決めたんです。高校時代の監督に『次のシーズンで結果が出なかったら辞めます』と言いに行きました」

【次ページ】 レギュラー定着、日本代表の常連に

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