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「母と2人、レンタカーで全米を回って…」高校日本一の19歳が“日本の超名門大を中退”で「保証はゼロ」のトライアウトに懸けたナゼ「自分の道筋が…」
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北川直樹Naoki Kitagawa
photograph by本人提供
posted2026/07/07 11:01
現在、米NCAA1部のラマー大学のアメフト部で活躍する吉川大紀。一時は日本で早大に進学したが、「夢」を追いかける道を選んだ
そんな時、ラマー大学のコーチから返信が届いた。2023年11月のことだった。
ウォークオンですらない、入部の保証もないトライアウト枠への誘いだった。4カ月間のトライアウト期間を経て、翌年の春の段階で評価が出なければ帰っていい。そういう条件だった。
迷いは「自分に自信がないから」…コーチの返答
当然ながら吉川は、早大を中退して渡米するからには正式な入部の合意を事前に得たいと思っていた。しかし、ラマー大のコーチからの返答は明快だった。
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「米国での上位高校で実績を持たない選手に対して、4カ月間もの評価期間を設け、アピールの機会を提供するのは異例中の異例。“公平なチャンスを与える”と言っているに等しい。それでも渡米に迷いがあるのなら、それは自分に自信がないからだ。もしそうなのであれば、来ても成功しない。諦めたほうがいい」
その瞬間、吉川の心に「なにくそ」という熱い炎が燃えあがった。
2024年1月17日の夜。吉川は東京の自宅から羽田空港に向かう電車の中で、パスポートを握りしめていた。
ビザを受け取ったのは数時間前。米国大使館にアメフトのNCAA1部リーグの大学に入学する、人生をかけたタイミングであることをアピールし、緊急対応でビザを発給してもらったのだ。
テキサス州ビューモントにあるラマー大学に、春の授業が始まってから1週間以内に到着しなければ、トライアウトの枠は消えてしまう。ビザの発給には通常、1カ月以上かかる。クリスマス休暇でアメリカ大使館のオフィスは止まっていた。年が明けてから緊急で申請したビザが、その日の昼にようやく交付された。
「ちょうど、その日がデッドラインでした。あと、飛行機の空席が残り1席しかなかったんです」
羽田からヒューストン経由でビューモントへ。その夜、最後の1席に滑り込んだ。1日でもビザの発給が遅れていれば、飛行機の空席がなければ……ラマー大学への道は閉ざされていた。19歳の吉川がアメリカに渡る選択を確定させたのは、その夜の最後の1席だった。
現地到着後は、夜中に大学のコーチが空港に迎えにきてくれた。
朝までコーチの部屋のソファーで仮眠し、ぎりぎりのタイミングで大学へと到着した。
<次回へつづく>

