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「母と2人、レンタカーで全米を回って…」高校日本一の19歳が“日本の超名門大を中退”で「保証はゼロ」のトライアウトに懸けたナゼ「自分の道筋が…」
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北川直樹Naoki Kitagawa
photograph by本人提供
posted2026/07/07 11:01
現在、米NCAA1部のラマー大学のアメフト部で活躍する吉川大紀。一時は日本で早大に進学したが、「夢」を追いかける道を選んだ
母と2人で渡米し、レンタカーに乗った。ニューヨーク、ボストン、テキサス、アイオワ、バージニア、ノースカロライナ……等々。夏休みの1カ月で、20校以上を回るロードトリップだった。
母が夜通しハンドルを握り、次のキャンプへ向かう車内で本人は助手席で仮眠を取る。朝にキャンプ会場に着いて午前のセッションをこなし、午後は近くの別の大学のキャンプに梯子する。そんな厳しい日々が続き、アピール前に体重も激減した。
母親の英語について尋ねると、本人は「下手すぎます」と苦笑する。それでもその母が夜通し運転をし、見知らぬ土地のキャンプ会場を回り、動画も撮影してくれた。
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「アピール、アピール、アピールで。リクルートキャンプみたいなのにも全部参加して」
1部リーグの数校からウォークオン(※奨学金のない一般枠での入学)のオファーはあったものの、タイミングや条件が合わず渡米には至らなかった。ある大学からは「翌年1月の春学期から来られるか?」との誘いもあったが、日本での高校卒業が3月だった為、渡米できなかった。
米から納得いくオファーはなく…早大へ進学を決意
交渉中の米国の大学もあったが、日本の大学への出願のタイミングもあった。結局、吉川は早稲田大学への進学を選んだ。米国に渡る道は、もう一度メールから組み立て直すことになった。
早大では1年生から試合に出た。秋シーズンにはほぼ毎試合フィールドに立っていた。「日本のレベルは高かった」と本人は何度も言う。
「本当にレベルは高くて。相手のレシーバーのレベルも上がりましたし」
「早大での1年間がなかったら、こんなに成長していない」と本人は振り返る。ただ、その一方で、こんな想いも大きくなっていった。
「僕は日本でも1番のプレイヤーではありませんでした。そんな中で、どんどんNFLへの道が見えなくなっていって。日本の大学でプレーして、その先に自分はどうしたいのか。その道筋が、頭の中で具体化できなくなっていました」
日本のアメフト界を経て進める道が、自分の中で曖昧になっていた。高校で、米国のトップチームに上がる手前で帰国した悔いもあった。何より自分がどこまで行けるか、本場で試したかった。
NCAA1部の大学のコーチへのメール攻勢は、早大入学後も続けていた。ただ、相変わらず反応は芳しいものではなかった。早大に入学し、1年目の秋が深まる頃には「これで何も動かなければ、もう日本でやっていく覚悟を決めるしかない」と思っていた。



