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「勝てる…と震えるように思った」地方馬コスモバルクの“ダービー挑戦”とは何だったのか?「ダービー当日の朝、芝コースを歩いた」岡田繁幸の悲願
text by

河村清明Kiyoaki Kawamura
photograph byTakuya Sugiyama
posted2026/05/31 06:00
2004年の競馬界を席巻した地方馬コスモバルク。引退後はビッグレッドファームで功労馬として過ごしている(写真は2023年)
馬場状態を入念にチェック「通るならここだ」
7時半、定刻より一時間半早く東京競馬場は開門した。
繁幸、美佐子夫妻のほか、家族や牧場スタッフなど、北海道から競馬場にやってきた応援部隊は20名を超えた。
〈地方に夢を! 翔べバルク! 行け冬樹!〉
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〈北の荒鷲 五十嵐冬樹〉
快晴のもと、パドックにいつもの応援横断幕が張り出されていた。
翌日のスポーツ紙が〈真夏のダービー〉と伝えたように、気温は朝から急激に上昇した。最高気温が31.7℃に達したため、出走馬18頭が顔を揃えたパドックで、厩務員の鹿島は新調したスーツの上着を脱ぎ、シャツ姿でバルクを曳いた。普段よりテンションの高いバルクが小走りにならないよう外側に田部が付き、二人曳きで周回した。
騎乗合図がかかった。
最終の周回に入ったとき、バルクの背にいる五十嵐を繁幸は追いかけた。レースの作戦を確認するためだった。
1コーナー手前で先行馬のうしろにつけ、馬を落ち着かせること。
向こう正面では少し外に出し、芝の生え揃ったところを走らせること。
3~4コーナーの勝負どころから仕掛けて、直線では馬場の中央で追い比べに持ち込むこと。
早朝の下見で相談した内容を繁幸は繰り返した。
この日の第8レース、同じ芝2400メートルの青嵐賞にも五十嵐は騎乗した。当日の馬場を経験させるため、繁幸はラフィアンのマイネルノーヴァを用意した。
その馬上から五十嵐は馬場状態の把握に努めた。向こう正面では、ラチから5メートル外の芝のクッションが良かった。通るならここだ、と確信した。
15時40分、第71回日本ダービーのファンファーレが鳴った。
<続く>
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