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「白血病を乗り越えたんだから」18歳でアルゼンチン移籍、まさかのケガ発覚…ロス五輪の有望株・貴田遼河20歳が「高原直泰」以来のゴールを決めるまで
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茂野聡士Satoshi Shigeno
photograph byRyoga Kida
posted2026/03/20 11:00
インタビューに応じてくれた貴田遼河(20歳)。アルゼンチンでの生活も板についてきたようだ(写真=事務所提供)
――初ゴールからさかのぼること1カ月前、公式戦デビューとなったサルミエント戦についてはどんな心境でしたか。
「アルゼンチン挑戦3年目で、なかなか思うようなサッカー生活を過ごせなかった中でやっと自分に出番が回ってきた。スコアは0-0だったんですが、相手に退場者が出ていて1人少なく、ホームで結構押し込んでいたので、やりやすい状況ではありましたね」
――思うようなサッカー生活を過ごせなかった、とは具体的にどの期間だったんでしょうか。
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「アルゼンチンに行ってすぐ、膝の半月板を損傷していることが判明したんです」
――えっ、そうだったんですか?
「練習していると痛みが出たんです。最初のうちは感覚的に大したことはないと思っていたんですが……その後クラブが検査した結果『半月板、やっているじゃないか』となったんです」
◆ ◆ ◆
貴田が加入したのは2024年2月のこと。検査したアルヘンティノスは当初、保存療法で行くか手術をするか2つの選択肢を示し、1カ月弱ほど前者を選択した。しかし膝の状態は良化せず、4月に手術を実施し、練習再開に至ったのは6月から7月にかけてだった。
◆ ◆ ◆
――高いモチベーションで新たな挑戦の地に選んだはずが、4、5カ月もボールを蹴ることができない。加えて全く慣れない環境であるアルゼンチンで過ごさなければならなくなった。
「はい、だからあの時が人生で一番キツかったですね」
――当時は高校卒業直後の10代、自暴自棄になってもおかしくない状況だったと思います。どのようにメンタルを保ったんでしょうか。
「一番大きかったのは、ワーキングホリデーを使ってアルゼンチンに来てくれたお兄ちゃんの存在なんです。メンタルをケアしてくれて、本当に助かりました」
――具体的にどんなことを?
「毎日お兄ちゃんと散歩しながら、サッカーやそれ以外の話もしました。サッカーができなかった分、一緒に筋トレにも行きましたね。不満とかをぶちまけることはあまりなかったですが、その中で『リハビリしっかりしよう』っていう話を一緒にしました。日本の家族とも電話しましたし、代理人の方のサポートも含めて、周りの存在が本当に大きかったですね」
――帰国して治療する、という考えがよぎらなかったんでしょうか。
「実はそういう話もありました。代表のスタッフと『日本で治すのもありなんじゃないか』という話をしたり、名古屋のスタッフとも話をしたことがあります。2024年はほぼ試合に出ていなかったので『いったん帰って落ち着いて、もう1回海外挑戦しようか』という気持ちになったことは正直あります。ただ最終的にはアルゼンチンで治すことを選びました」



