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「私から(浅田)真央が受け継いでくれて」そして“浅田に憧れた”中井亜美・島田麻央へ…レジェンド伊藤みどりが語った「トリプルアクセルの系譜」
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野口美惠Yoshie Noguchi
photograph byKYODO
posted2026/03/02 17:02
伝説の先駆者・伊藤みどりさんが、誰もが憧れる大技“トリプルアクセル”の魅力とその歴史を語り尽くした
トリプルアクセルは高跳びではなく走り幅跳び
「私にとってトリプルアクセルは、高跳びではなく、走り幅跳びです。スピードとタイミングが重要。なんといっても質の良いダブルアクセルを跳ぶことをすごく意識して練習していました。またディレイドアクセルという、1回転半を跳んで、空中であとから回転を締める練習もしました。ポンッと上がってから、余裕をもって回転させるのが理想的なトリプルアクセルです」
伊藤の活躍は、まず地元名古屋の少女達に大きな影響を与えた。
「中野友加里さんや恩田美栄さんは、同じ山田(満知子)先生の門下生。私がトリプルアクセルを練習しているのを、小さい頃に生で見ているんです。トリプルアクセルが特別ではなく、間近にいる人が練習しているという環境は良いことだったと思います」
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中野は2002年のスケートアメリカで国際大会初成功。伊藤、トーニャ・ハーディングに続き、11年ぶりの成功者となった。しかし'04-'05シーズンから全面的に導入された新採点方式は、高難度ジャンプに厳しい時代の到来となった。片足で着氷すれば成功ではなく、「4分の1」や「2分の1」の回転不足で減点を受ける。「回転不足と判定されるなら、挑戦しないほうが高得点」というトリプルアクセルの氷河期が訪れた。
浅田真央が受け継いでくれた
この時期に、たった1人でトリプルアクセルを跳び続けたのが浅田真央だった。プロスケーターとして、まだトリプルアクセルを練習していた伊藤を見て育った後輩だ。
浅田は14歳の時、'04年ジュニアGPファイナルで女子史上5人目として初成功。その後もトリプルアクセルを武器に、世界のトップで戦った。何よりも重要なのは一度の成功で終わらず跳び続けたことだ。伊藤は言う。
「私の代名詞だったトリプルアクセルを、真央がとうとう受け継いでくれたと思いました。誰もやっていない、自分をアピールできるジャンプ。自分だけの技というのは、アスリートにとって最高の幸せです」
'10年バンクーバー五輪で浅田は、SP、フリー通じてトリプルアクセル3本を成功。五輪での成功は、伊藤以来2人目だった。


