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「20歳で高校同級生と結婚」86歳で死去・加藤一二三…神武以来の天才は10代から大物すぎ「勝ち過ぎで一度将棋をやめた」「対局翌日は名曲喫茶」
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田丸昇Noboru Tamaru
photograph byTadashi Shirasawa
posted2026/01/29 06:03
「ひふみん」の愛称で愛された加藤一二三・九段。田丸昇九段が知る大棋士の人生とは
そして、加藤は1951年9月から京都府木津川市にある南口宅で内弟子生活を送り、棋士養成機関である関西の奨励会に入って棋士を目指した。地元の中学と高校に進学し、師匠の南口は自分の子どもと分け隔てない気持ちで加藤を養育した。
奨励会時代から大物→中学生棋士→最年少A級
加藤は奨励会時代から大物の雰囲気が漂っていたという。
54年に京都新聞の企画で大山康晴名人との記念対局(手合いは飛車落ち)では、臆せずに堂々と渡り合った。また同年の名人戦(大山名人-升田幸三八段)で記録係を務めたとき、対局者が長考中に似顔絵を描いてすましていた。加藤は奨励会時代、鬼才と呼ばれた升田に自分の将棋を高く評価され、「この子、凡ならず」と言われた。後年に薫陶を受ける機縁となった。
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加藤は奨励会で順調に昇進し、54年8月に14歳7カ月の最年少記録で四段に昇段。史上初の「中学生棋士」になった。
54年度にプロデビューして順位戦に参加すると、C級2組→C級1組→B級2組→B級1組へと連続昇級。58年4月には一流棋士の証といわれるA級に、4期連続の最短距離で昇級して八段に昇段した。時に18歳で、現在でも最年少記録だ。その驚異的な強さは、後年の高度成長の端緒となった「神武景気」が起きていたことから、「神武以来の天才」と称された。
早大入学…初の「棋士と大学生」の両立だった
加藤は小学校の恩師に「視野を広げた方がいい」と大学進学を勧められ、早稲田大学第二文学部に入学して西洋史学を専修した。棋士と大学生を両立した初めての例で、住まいも京都から東京に移した。
当時の加藤は将棋雑誌のインタビューに答えて、私生活について次のように語った。
「クラシック音楽が好きで、レコードはだいぶ集まりました。対局の翌日は、高田馬場の名曲喫茶で過ごして頭を切り替えます。絵画はセザンヌ、映画は洋画が好きです。小学生時代は野球をやっていて、将棋連盟チームに入るつもりです。カメラにも凝っていて、説明書を見ながら撮っています」
いろいろなことに興味を寄せる若者という感じだが、ガールフレンドについての質問には、こう答えた。

