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野球クロスロードBACK NUMBER
中学時代は「大阪桐蔭や履正社と戦う自信がなくて…」甲子園で故郷・大阪代表を撃破…全チーム唯一の「エースで4番で主将」が香川へ進学を決めたワケ
posted2025/08/13 11:04
尽誠学園でエース、4番、主将を務める広瀬賢汰。かつては尻込みしていた地元・大阪の代表校を見事に圧倒して見せた
text by

田口元義Genki Taguchi
photograph by
JIJI PRESS
熱戦が続く夏の甲子園。その初戦で大阪代表の東大阪大柏原が敗れ、近年の甲子園をけん引してきた大阪勢が45年ぶりに春夏ともに未勝利に終わることになった。同校を破ったのは香川代表の尽誠学園。そのチームでエース、4番、主将を兼ねる大黒柱は、実は大阪出身でもあった――。《NumberWebレポート全2回の2回目/最初から読む》
甲子園で大阪代表の東大阪大柏原を倒し、大阪勢45年ぶりの「春夏未勝利」へと追い込んだ香川の尽誠学園。そのエースが、4番そしてキャプテンも務める広瀬賢汰である。
プロ入りした「かつてのレジェンド」を彷彿?
尽誠学園を甲子園初出場から2度のベスト4と強豪へと育てた元監督の大河賢二郎が、広瀬にレジェンドOBを重ねている――そう教えてくれたのは、現監督の西村太だ。
「『広瀬は宮地とかぶる』と言っていますね」
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宮地克彦。1989年夏にエースで3番、キャプテンとしてチームを牽引しベスト4に進出。準決勝で仙台育英と延長10回の激闘を演じたことを記憶するファンも多い。その後はプロ入りし、西武やソフトバンクで活躍した。
この年の尽誠学園の顔とも言える宮地は、大阪から香川に移って腕を磨き、成長を遂げた。
36年後。尽誠学園に23年ぶりの勝利をもたらした広瀬も大阪の出身である。

