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「タナベ! よく投げてるね!」「(タバタですけど)頑張ります!」長嶋茂雄監督が“最後に獲得した男”田畑一也のトレード人生「長嶋さんは神様ですから」
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph byKazuya Tabata
posted2025/07/12 11:02

1996年、ヤクルトに移籍した田畑は憧れの長嶋監督とツーショット(本人提供)。後に長嶋巨人にトレードされることになろうとは
先発ローテーションの柱として期待された近鉄での初年度は、右肩や膝の痛みなど故障の影響もあり10試合登板して3勝4敗に終わった。移籍2年目、32歳となった2001年は、一軍キャンプでのスタートとなったが開幕直前に登録抹消となり、二軍でウエスタン・リーグの開幕投手を担った。
またもやトレード
「32歳が二軍で開幕投手なんて、こりゃダメだろうと思っていました。肩の具合もあまり良くなかったので、もうとにかく先発でしっかり100球ぐらいを投げられるようにと考えてトレーナーさんと色々な取り組みを始めました。その矢先、またトレードを告げられたんです」
2001年シーズン途中の6月、近鉄から田畑と真木将樹投手、巨人は三澤興一投手、玉峰伸典投手と2対2の交換トレードが成立した。長嶋茂雄監督率いる巨人は5月下旬から7連敗するなどチーム状況が下降しており、打開策として即戦力の中継ぎを欲しがったことで決まったトレードだった。
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「長嶋さんは左の速い投手が欲しいということだったので、本命は真木だったみたい。俺はおまけでついていった。でもね、3度目のトレードだから俺も、移籍したら最初が肝心だというのはよく分かっていますから。またアドレナリンが出ましたよね」
挨拶だけのつもりが「投げてみろ」
トレードを通告されるとすぐに、真木とともに車で大阪から東京へ向かった。東京に到着したその足で球団事務所で入団会見し、翌日には二軍施設のジャイアンツ球場へ。
「挨拶のつもりで行ったらいきなり『投げてみろ』って。ブルペンかと思いきや、二軍戦のマウンドで投げさせられたんです。ユニフォームはなんとか間に合いましたがスパイクもグローブも近鉄のまま。とにかく、ここでいいところを見せなきゃ、と必死に抑えたら『じゃあ次は一軍だ』って。ものすごいスピード感で……」